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2006年05月のバックナンバー

2006年05月01日

開花情報です(根津神社から)

  朝一番で根津神社へ・・・。

 つつじの開花情報です。もうそろそろピークみたいですね。

 境内つつじ苑内のつつじの種類も早咲き・遅咲きと様々で一変に全てが咲くのではないのですが、ほぼ満開のように見受けられます。 例年よりやや開花が遅めのような気もしますが、それでもGW最後まではもたないでしょう・・・。

 是非、お早めにお出かけください!! 

2006年05月02日

新聞記事から・・・(「靖国」について考える1)

  今朝の朝日新聞の記事です。(写真)

 戦後処理の象徴である極東国際軍事裁判(東京裁判)の開廷から60年がたち、この裁判の内容を知らない人が実に70% にのぼることが同新聞の世論調査で明らかになりました。

 驚きの数字です。しかも20代では90%を占めるそうです。

 当然小中学校の歴史の教科書には第2次世界大戦や東京裁判についての記載はありますし、 日本人として後世に伝えていかなければならない極めて重要な史実のひとつです。

 なぜ、このような驚愕の数字が現れるのか全く理解ができません。

 過去の侵略をめぐって未だに矛先を日本に向ける中国や韓国の若者たち・・・それを摺り込み教育だと批判する向きもありますが、 自国の重要な歴史の一端に関心ももたない、意識ももたないそんな状況が今の日本の「現実」だとしたならば、「平和ボケしている」 と馬鹿にされても仕方ありません。

 「靖国」をめぐる問題についても然りです。

 第2次世界大戦は日本の歴史にどのような意味をもたらしたのか・・・?東京裁判って何・・・?靖国神社ってどういう神社・・・・?

 こうした大事な事に関心を持たない今の日本の国民の現状では「参拝の是非」を聞いてみても意味がないと思われます。

 後世に自国の歴史について「いかに伝えていくか?」目をそむけずに国民的議論で考えていかなければなりません。

2006年05月03日

私の体験(「靖国」について考える2)

  結論から言うと私としては「現状においての靖国神社への首相公式参拝には反対」 の立場です。戦争責任者の合祀問題を日本国民もまた国際的にも納得が得られるような解決を図り、 誰もが胸を張って参拝ができる神社にしてもらいたいと願っています。

 ここで私の体験について少しお話しします。

 小中学校の歴史の時間に第二次世界大戦について教えられた記憶は殆どありません。何故か、いつも、どの先生も、 明治維新以降は駆け足で過ぎあっという間に近代史は終わりました。(時間がなかったみたいです。)

 高校は都立九段高校に3年間通いました。隣りは「靖国神社」です。大きな神社、戦争犠牲者・英霊が祀られている。 桜の時期は花見に絶好。そんな印象でしかありませんでした。

 私が戦争観を認識し始めたのは大学3年のとき。きっかけは「国際法」のゼミに入り、 主に第二次世界大戦および東京裁判についての研究を始めた頃でした。

 私の担当教授は終始一貫「あの戦争は自衛戦争だった」「勝者が敗者を裁く東京裁判は国際法の観点からしても認められない」との主張。

 3年の夏には広島県江田島にある海上自衛隊に1週間の体験入隊を課せられました。江田島は旧海軍兵学校があったところです。

 その当時のパンフレットが偶然にも残っていたのでご紹介します。(写真)手旗信号・カッター(ボート)訓練などなど・・・ 今になって考えると信じられない話でもありますが、貴重な体験をさせてもらいました。
 また最終日には施設内にある「教育参考館」を見せてもらい、戦争当時の若者たちの不遇にゼミ仲間みんなで涙したことを今でも覚えています。

 4年になると2週間に渡っての韓国研修。新幹線で下関まで行きフェリーで釜山へ、そこから列車を乗り継ぎソウル・板門店と巡り・・・ 日本と韓国との歴史について学びました。とりわけ北朝鮮との国境線(38度線)をこの目で見ることができたことは、 大変な経験で今でも教授に感謝しています。

 私のゼミの教授はそうした実体験のもとに学問を積み上げていくタイプの人でしたから当然説得力がありました。また、 当時私達ゼミ生も何の違和感もなくそうした指導について行ったような気がしています。

 今になって冷静に考えてみると違和感も感じる部分もありましたし、あの頃教授が言っていたことに多少疑問も残りますが、 それでも私にとってはこの靖国問題や戦争について考え自ら判断する上での貴重な体験となったことは事実です。

2006年05月04日

東京裁判と戦犯の合祀。(靖国について考える3)

  昨日の続編です・・・。

 話を東京裁判に戻します。私は学生時代ゼミの教授から「勝者が敗者を裁くという到底認められない裁判だ!」 と東京裁判について教えられました。

 私自身も今でもそう思っています。

 戦勝国11カ国が裁判官となり、被告席には日本のみというのですから、どうみても裁判の形式をなしていません。 裁判だと主張したいのなら、戦勝国が原告となり敗戦国が被告となって中立国が裁判官の位置についてはじめて形式が整うといえましょう。

 端的にって報復裁判だったのです。

 また、裁判官の中で唯一日本の無罪を主張したインドのパール博士の主張も正論です。パール博士は「国家同士には交戦権があり、 他国に対する武力行使を犯罪とすることは不当である。」(当時の国際法)と主張していました。

 しかし現実的には1951年(昭和26年)に調印された日米平和条約(サンフランシスコ条約)の中で日本は 「東京裁判の判決を受け入れる」ことになります。不当なこの裁判を日本自身が認めてしまったということです。

 次に戦犯についてですが、サンフランシスコ条約によって晴れて「独立」の地位を得た日本は翌年早速「戦傷病者戦没者等遺族救護法」 を成立させて戦争犠牲者の遺族年金の保障制度を制定します。またその翌年には法改正によって、 いわゆる戦犯もこの法を適用することにしました。

 つまりこの時点で、戦死も戦傷病死も「戦犯による死刑」もすべて国家のために犠牲となったとし、 厚生大臣の認定により一切の差をつけないとしたのです。なおこのときから戦犯処刑という言葉はなくなり、公文書には「法務死」 と書かれるようになりました。

 これらに基づき1959年にはB・C級戦犯が靖国に合祀。紆余曲折の後にそれから20年後の1978年(昭和53年) にはA級戦犯も合祀されることとなります。

 これが東京裁判からA級戦犯合祀に至るまでの経緯です。

 合祀については私たち日本国民にとっては心情的にもまた手続き的にも納得ができる経緯ではありますが、 近隣諸国や国際的に果たして通用する論理だったのか?疑問が残ります・・・。

 内政干渉だと無視してしまうことは簡単ですが、今後日本が近隣諸国と友好を保ち、国際的にも信頼を得ようとするのであれば、 この問題をうやむやにせず私達国民自らの手で解決する必要がある。

 私はそう思います。

2006年05月05日

小泉首相の公式参拝(靖国について考える4)

  このGWは靖国を巡る私の歴史観について特集で記してきました。 シリーズ最後の今日は小泉首相の公式参拝についてひとこと・・・。

 小泉首相の靖国公式参拝の発端は総裁選挙での日本遺族会への公約だと聞いています。

それはそれでよいと思いますが、一方では「不戦の誓い」とか「国民一人ひとりの心の問題」などと発言しています。

 しかし、そもそも個々の「心の問題」を選挙の公約にすること自体大きな誤りではないでしょうか・・・?

 また、参拝日をずらしたり、本殿に上らず社頭での参拝にするなど小泉首相の行動は実に拍子抜けであったと言わざる終えません。 それをサプライズとか小泉劇場などと簡単に片付けてしまって良いものでしょうか・・・?

 ちなみに歴代首相はみな8月15日に参拝しており、1975年の三木武夫首相が最初です。以後、福田赳夫首相が1回、 また以外にも鈴木善幸首相は任期中のすべてを8月15日に行っており合計3回参拝。その後中曽根首相が3回、 その11年後に橋本首相の1回そして小泉首相へと続いていきます。

 小泉さんが信念をもってこの問題に対峙するならば最低限8月15日に参拝するのが筋だったと思います。 またそれが出来ないのであれば参拝すべきではなかったのでしょうか・・・?

 それは過去の歴代首相の行動を見ても明らかだと思います。

 私は第二次世界大戦や靖国問題について、その時々の時代の流れや世相の中で「茶番」にされたり「政争の具」 に使われたりすることは絶対あってはならないことだと思っています。

 この問題を他国から干渉されることなく日本国民の手により明確に解決することが何よりも重要です。そのためにも意識を高揚し、 過去の歴史にしっかり眼を向けそれに対峙すること。

 そのことが私たち世代以下の国民に求められているのだと・・・私はそう思っています。

 <靖国問題 私の主張>
1.他国に干渉されることなく、戦争犠牲者に対する追悼の意を表するために靖国問題を国民の手により解決を図っていくことが必要。

2.靖国神社に戦争責任者が合祀されているということについては、過去どうあったかの検証と今後どうすべきかの検討が重要。

3.靖国神社を戦没者の追悼の地とする。無宗教の戦没者追悼施設の設置には反対。

2006年05月07日

まだ咲いています・・・(根津神社から)

  私の地元根津神社で行われている恒例「文京つつじまつり」も終わりを迎えています。 今年はいったいどれくらいの人達が訪れたでしょうか・・・?

 年々来訪者も増える傾向のようです。つつじばかりでなく、 谷根千と呼ばれるこの地域の良さを一人でも多くの方に知ってもらいたいと願っています。

 ところで肝心のつつじの状況はというと・・・例年で言うとすでに花が散っている「つつじ苑」 ではありますが今年はまだ花が残っています(写真)。ちょっと意外でした。

 このところの陽気を振り返ってみると寒暖の差も激しかったですし、そうしたことも影響しているようのでしょうか?

 いずれにしてもこの一大イベント、今年も成功裡に終了できたことを嬉しく思っています。関係者のみなさん本当にご苦労様でした。

2006年05月08日

認定証が送られてきました。(救命技能を有する・・・?)

  東京消防庁から「救命技能認定証」が送られてきました(写真)。

 救急救命講習を受講した証だそうです。議会研修会でこの講習を行ったのが先月25日でした。 早速にこんな仰々しくも立派な認定証を頂戴して若干戸惑う私です・・・(苦笑)。

 認定証の裏面には「救命技能を維持向上させるためには定期的な講習が必要です。3年以内に再講習を受講してください。」 との記載があります。

 3年どころかもうすでにあの時(講習受講時)の記憶もあいあまいな私です。本当にいざという時に対応できるのでしょうか・・・? すごく不安です。

 これからも防災訓練などの機会を通じて訓練を繰り返していきながら、一日も早く自分のものにしていかなければと痛感しています。

2006年05月09日

環三記事になる!!(東京新聞に注目)

  今朝の東京新聞裏面一面に環状3号線についての記事が一面ベタで報じられました。 見出しは「未完の環3都が本格的検討活路は地下化!?」と題し、 これまで全く手つかずだった文京区部の約4キロ区間について東京都が地下化も含め検討に入ったと報じられています。

 私が議員になって以来ずっと取り組んできたこの問題がやっと「動き出した」との感もあり「諦めないで言い続けてきて良かった」 とそんな思いです。

 記事を書いた東京新聞五十住(いそずみ)社会部論説委員にはかつて増子都議を通じて取材を受けたこともあります。 関係住民の切実な声や、この問題が根津のような木造密集地域では「まちづくりの大きな障害」となっていることについても報じていただき、 大変ありがたく思っています。

 これをきっかけに環三問題がいかに都政の大きな課題であるかを一人でも多くの区民や都民に知ってもらい、 早期解決に向けての新たな第一歩となることを強く期待してやみません・・・。

 私も今後この問題については、より粘り強く、そして、しつこく取り組んでいきます。是非ご意見、お寄せください!!

2006年05月10日

なぜか今日もホイコーロ。(変な癖です・・・)

  朝から午後にかけては地元で仕事をしました。事務所に来訪者があったり、 地域の問題などの相談にのるために現場に出かけたりと・・・。 それと今朝は町を歩いていて短時間のうちに3人もの同僚議員に会ってしまいました。小林議員・田中和子議員・ 国府田議員の3名です・・・戦いの場は議場から地元に移ったという感じです。

 お昼は、根津の中華料理店「新三陽」へ。ママさんは私のバスケ仲間でもあります。今日のメニューは「ホイコーロ丼セット」です。 昨日は違うお店でしたがやはり「ホイコーロ定食でした」。何日か前に我が家の食卓で出たホイコーロ・・・ その時以来ホイコーロが気になって仕方ありません。

 自分でも変な癖だと思ってますが、時々このような症状が出てしまうのです。
そうなってしまうと飽きるまでほぼ毎日食べ続けることになります・・・。(平均3日~4日間くらいでしょうか・・・?)
ちなみに半年前ほどは「かに玉」にハマりました。またその1年前は「ビビン麺(冷麺の汁のないもの)」でかなりの重症でした。

 まったく困ったものです・・・(苦笑)

2006年05月11日

工事協定合意へ(日医大看護士寮解体工事)

  根津1丁目にある日医大看護士寮の解体工事にあたり、 近隣住民との工事協定が結ばれたと聞きました。

 最初の説明会が開かれたのが3月16日のことでした。以来4回に渡っての協議を重ね、ようやっとの合意です。

 私もほぼすべての説明会にオブザーバーとして参加しました。当初は施主と近隣住民の間にやや感情的なやり取りもありましたが、 時間を惜しまずお互い誠意を持って向き合えば必ず理解しあえるものです。

 振動計や騒音計の設置は私の提案で協定書に盛り込まれました。 解体工事に伴う揺れや騒音は建築工事の時よりもむしろ影響が大きいとも言われます。 ある程度の数値による判断基準がない限りこの問題はうやむやになってしまうことでしょう。

 また今回の合意で特筆すべきは工事進行中も月に1回住民との「協議会」 を開催し進捗状況の報告と住民の意見を聞く場を設定したことで、これまでに類を見ない取り組みといえましょう。

 日医大は解体工事の後、同跡地に大学院棟を新たに建設するとのことです。かなり長い工期になると予想されます。 事業者である日医大さんには是非とも今後も近隣との融和を第一にして、地域に理解が得られる事業にしていってもらいたいと要望します。

2006年05月12日

水害対策です!(合同水防演習1.)

 9:00 文京区内合同水防演習に参加。茗荷谷「教育の森公園」 には区内消防署および消防団、区役所関係職員、区民ボランティアなどが集結。

 台風や集中豪雨に備えて「土のう工法」や「救命ボート工法」などの実施訓練が様々披露されました。(写真)

「水をもって水を制す!」(合同水防訓練2.)

  写真は「連結水のう工法」という越水を防ぐさめの工法です。

 溢れる水を布製の直方体袋に吸収することにより防水壁を作り、越水を防ごうというもの。

 手で触った感じはふにゃふにゃ・・・何だか今流行の「ウォーターベッド」を連想させる感触です。でもまさに「水をもって水を制する」 ともいえる新しい工法といえましょう。

2006年05月13日

息があがりました・・・。(フープス練習)

 16:00 久しぶりにバスケの練習に参加。

 卒業式・入学式またGWもあって学校の体育館が使えなかったことや、私自身仕事が忙しかったこともあり、 実に1ヶ月ぶりの練習参加です。

 いやぁ~息があがっちゃいました・・・。何とか練習についていくのがやっとでした。 1ヶ月のブランクでこうも体力が落ちるものなのかと痛感です。

 バスケットボールはかなりハードな動きとスタミナが要求されるスポーツなので、正直いって年齢は大きなハンデになることは事実です。 でもフープスのメンバーはみな35歳以上。みんなバスケが好きで、ここに集まることが楽しみだし、そして自らの体力の限界に挑んでいます。

 だから明るいし、健康だしそしてチームは和気あいあい。

 私にとってもオアシスです。目指すは体力の復活!!

2006年05月15日

偶然出くわしました。(カイザーへのお土産?)①

7:45 早朝、街頭活動のため駅へと出かける道すがらのことです。

  不忍通り沿いにある老舗ちょうちん屋さん「柴田商店」の店先で主の柴田さんが「ちょうちん」の仕上げをしています。

 よく見てみると「ワールドカップドイツ2006」の文字と文京区の姉妹都市であるカイザースラウテルン市の紋章が描かれていました。

 6月に行われる姉妹都市交流訪問団が持って行く先方へお土産だそうです・・・。
誰が選んだのでしょうか?なかなかお土産には良いチョイスです。カイザーの人達もきっと喜んでくれることでしょう。

 でも私も訪問団の一人ですがお土産については知りませんでした。中味をバラしちゃまずかったでしょうか・・・?

区民の声を聞く!(根津駅から・・・)②

 7:45 根津駅頭で恒例の街頭活動を行いました。

 増子都議とのコラボレーションです。増子氏がマイク担当で私は機関誌の配布です。今日嬉しかったことは、 わずか1時間の活動でしたが、実にたくさんの人達から質問や要望を受けたこと。

 根津駅のエレベータ設置の要望。私達が取り組んでいる環状3号線問題についての賛同の声、 駅前の放置自転車や姉妹都市ドイツカイザースラウテルン市についての質問などなど・・・。通りすがりの区民の皆さんから、 こんなにも声をかけられたのは私も初めての経験です。

 私も街頭活動を始めて4年くらいになりますが、 この根津駅頭が私の議会報告や演説という一方通行の活動の場から区民の声を直接聞くことが出来る双方向の場になったことを本当に嬉しく思っています。

 「継続は力なり、そして宝なり」またまた身をもって実感しています。

頑張れ 文京区代表!!(少年サッカーチーム壮行会)③

 17:00 6月にドイツのカイザースラウテルン市に派遣される少年サッカーチームの壮行会が湯島にある日本サッカー協会 (サッカーミュージアム)で行われました。

 私も公式訪問団の一人として出席。

 今回派遣される少年たちは全部で22名。うち1名は女子児童。どの子達も厳しい選考を突破してきた実力を持つ、 まさに名実共に文京区を代表するチームが出来上がりました。

 今日の壮行会には約100名の関係者が出席。ドイツ大使館の書記官の方や、岡野俊一郎サッカーミュージアム名誉館長も出席、 多くの激励の言葉に選手諸君もおおいに奮い立っていたようです。

 私も同行できることを誇りに思います。

 今回の主な日程はというと・・・6月10日に成田を出発、14日までの5日間をカイザースラウテルン市で過ごします。 同市少年チームとの親善試合、W杯・日本VSオーストラリア戦の観戦、その後、 市民交流やカイザースラウテルン市議会との意見交換会など実に盛りだくさんのスケジュールです。

 子供たちの体調管理も心配ですがコーチはじめ私たちも協力して、全面的にサポートしていくつもりです。

 また文京区議会からは成澤議長・戸井田総務区民委員長・ そして国際交流を主管する議会運営委員会委員長の私が訪問団のメンバーとして派遣されることとなりました。

 ぜひ大きな成果を挙げて帰国したいと思っています。

 ちなみに、今朝偶然眼にした「ちょうちん」は会場の両脇にすでに飾られており、出席者の皆さんにも披露されていました。

2006年05月16日

関心高まる・・・!?(まちづくりワークショップ)

 19:30 第1回根津まちづくりワークショップがふれあい館地下ホールで開かれました。 根津のまちづくりについては過去2回に渡って、説明会や報告会が行われてきましたが、 参加者が主体的になって意見交換をしたり議論をするなどの試みは今日が初めてです。

 いわゆる「ワークショップ」です。

 60名ほどの参加者が4つのグループに分かれてフリートークする場面では、前回まで「ワークショップってなに売ってんの?」 などと言ってた人達も積極的に発言したり、 今日はじめて参加した人達も違和感なく議論に参加できたという点ではこれまでに比べたいへんな進歩だと思います。

 でも話が弾んでいけばいくほど、根津のまちづくりの難しさにも気付くわけで、「古い町並みは残したい・・。でも危険だ!」 「地元の商店街の活性化が重要。でもスーパーやコンビもなきゃ困るなぁ~!」などなど二律背反する意見も出ました。

 簡潔に総括するならば「古きと新しきをいかに融合し、誰にでも優しいまちづくりを展開していくか?」 今日のところはそんな感じだったと思います。

 参加者が増えたことやワークショップが成功したことは、大きな前進ですがもっと裾野を広げることも必要ですし、 まちづくりについての制度やノウハウについての学習も重要です。

 このワークショップ、今後は1カ月おきに開催が予定され1年かけて「まちづくり計画」についての検討が進められるとのこと・・・ 次回開催は7/8(土)13:30~16:30 「根津のまち歩き」を企画しているようです。(多分集合はふれあい館だと思います。)

 近隣住民のみならず一人でも多くの方々に参加していただき、みんなで知恵をしぼりアイデイアを出し合い・・・そして、 区民の手による「まちづくり計画」が立派に出来上がることを念願してやみません。 

2006年05月17日

どう変わる・・・?!(文京アカデミー評議員会)

 10:00 シビックセンター3階会議室で「(財)文京アカデミー評議員会」 が開催されました。私も評議員の一人として出席です。

 今日の議題は17年度の事業や決算についての報告、また役員改選についての審議が行われ、いずれも理事長提案の通り了承されました。

 以前にもこの日記でご紹介しましたが、(財)文京アカデミーはこの4月に発足。
従来の地域文化振興公社の事業を引き継ぐ形で運営されています。また指定管理者制度の導入により、その責務を担うことになりました。

 指定管理者制度の趣旨は公の施設の管理運営を民間に委ねることで、 よりサービスの向上と利用者などへの利便性を強化しようとするもので、いわば「民間活力」の導入です。

 文京区では旧公社を名称変更して文京アカデミーを指定管理者としたのですが、名称だけではなく、 当然中味についても変わらなくっちゃ意味がありません。

 今日の報告では今後アカデミー構想を推進していくための組織体制が示されました。理事会の下部組織として(仮)生涯学習・ スポーツ会議、(仮)文化芸術会議(仮)国際・観光会議などが設置され、具体的な事業展開への検討を進めていくようです。

 私達評議員会としては、とりあえずはこの1年間は推移を見守っていくしかないのですが、 アカデミーの事業はシビックホールの運営はじめスポーツ大会など区民に密着した事業がほとんどです。

 目に見える成果が挙げられるかどうか?まさにこの1年でその真価が問われます。 

 

2006年05月18日

ちょっと工夫しました。(新しい名刺です。)

  新しい名刺が出来上がってきました。これまでの名刺は写真が6年前のもので、 「写真と実物はちょっと違うね」なんて時々言われていたので・・・。

 今度の名刺はデザインや見た目よりも機能重視をコンセプトにしています。
 顔写真をまず左下のほうに寄せてみました。右に余白があるのはややアンバランスな気がしますが、 一言そこに書き込みが出来るように工夫して(写真右側)一般的な名刺のデザインとはちょっと違う雰囲気を作ってみたつもりです。 また裏面は私のプロフィールと「まさし日記」のPRをさせてもらっています。

 ちなみに印刷部数は2000枚。来年の統一地方選挙までにすべて配りきるのが私の目標です!!

2006年05月19日

50ミリ対策必至!(東京河川改修促進大会に出席)

 13:00 神宮外苑にある日本青年館で「東京河川改修促進大会」が開催。

 神田川など流域自治体13区・21市・2町・1村の関係者や議員が結集。治水対策や水辺環境整備をより強化するために、 政府や東京都への予算要望を採択・決議しました。

 神田川においては区内でも治水対策が進み、杉並にできた環状7号線地下調整池の完成も受けて大きな氾濫はなくなりました。 しかしながら昨年9月に東京を襲った局地的集中豪雨はこれまでの常識を覆すほどの猛威だあったのは記憶に新しいところです。

 政府や東京都も新たな対策を講じていかなければなりません。
 少なくとも50ミリ(/時間)対策は必至といえましょう・・・。
来賓で出席した政府や東京都関係者も「必要な事業にはしっかり予算措置を講じていく。」との反応でした。

 今後に期待するところです。


18:00 文京区ラジオ体操連盟総会(茗渓会館)に主席、 今日は会合が重複していたため途中中座して次は千駄木二丁目西町会の総会に駆けつけました。

 総会シーズン真っ只中です。  

2006年05月21日

気軽に誰でも!(ビーチボールバレー大会)

 10:00 汐見・八中スポーツ広場主催の「ビーチボールバレー大会」に参加。

 会場となった汐見小体育館には愛好者約40人が集まり、ゲームを楽しみました。 ビーチボールバレーの利点は誰でも気軽に参加できることで、年齢・性別関係なく楽しむことが出来ます。

 文京区でもここ5~6年で急速に人気が高まっています!

 今日も高校生から高齢者(最高齢69歳)まで老若男女の参加、和気あいあいムードの中で大会が進められました。

 ちなみに私のチームは6試合戦って2勝4敗・・・。ちょっとイマイチの成績でした。残念!!

2006年05月23日

10人のご協力を得ました!(民主党サポーター登録)

  私が所属する民主党東京第2区総支部から「サポーター登録者増強」の協力要請があり、 今日は終日地元で民主党サポーター登録のお願いに歩きました。

 サポーターは党員資格こそありませんが、民主党を支持する重要な存在として代表選挙の投票権など、党員同等の権利が与えられます。

 開かれた政党として、また誰にでも参加できるという点でも他の政党とは違う利点です。

 写真は私のいとこ渡辺正晴氏。区内で印刷・グラフィックの会社を経営しています。私の最も身近かな応援者の一人です。 まずは身内から勧誘ということですみません・・・。

 でも結果として今日一日で10人の方々に快くご了解いただき、登録してもらいました。

 大きな成果です。皆さんありがとうございました!!

カイザー訪問団について報告。(ライオンズクラブ理事会)

 17:00 本郷ライオンズクラブの理事会(上野精養軒)に出席。(写真)

 1ヶ月に一度の定例理事会です。ま近かに役員改選も控えているので議題も盛りだくさんですが、 私からは来月予定予定されている文京区ドイツ・カイザー訪問団について現状を報告させてもらいました。

 ワールドカップが行われるドイツに、我が本郷ライオンズクラブの青少年サッカー大会参加チームから少年代表選手を送れることを、 メンバーみんなが本当に心から喜んでいます。

 現地に行く私の責任はとても重大です・・・(苦笑)。

2006年05月24日

子供たちが招かれました。(ドイツ大使館レセプション)

 19:00 ホテルニューオオタニで行われたドイツ大使主催の 「ワールドカップをお祝いするレセプション」にカイザー派遣少年サッカー代表チームの子供たちが招待を受けました。

煙山区長ほか文京区からも関係者が招待。私もお招きいただき、出席させていただきました。

 去年・今年の2年間は「日本におけるドイツ年」。そのイベントの一環だそうです。 会場には日本サッカー連盟名誉総裁である高円妃殿下をはじめ中曽根元総理・久米ひろし日独親善大使など著名人が出席。

 セレモニーでは文京の子供たちが大活躍(写真)協賛企業であるアディダスからはユニホームも提供してもらいました。

 子供たちにとっては一生記憶に残る思い出になったと思います。

 アディダスってドイツの企業だったんですね・・・今日はじめて知りました。

2006年05月25日

異人坂・・・ここが危ない!(改善を要請。)

  写真は弥生と根津の境。異人坂下から不忍通りへと通じる裏道です。 弥生から根津へ特に言問通りが渋滞している時は不忍通りへの抜け道に使われているため交通量もかなりあります。

 左手は根津小学校の通学路、写真前方には二箇所の交差点がありますが両方向ともに標識などは設置されておらず、 出会い頭事故や自転車と車のニアミスもしばしば起こっているとのこと・・・。

 周辺の方々からもご意見を頂き、区役所道路課に改善を要請しました。
標識などの設置については警察とも協議しなければならないようですが、道路のカラー舗装なども含め早急に改善を図ってもらいたいと思います。

2006年05月26日

文京日韓親善協会再結成へ。(浅草から・・・)

  ここ10年近く活動が休止していた文京日韓親善協会。 その再結成運動に最近私も積極的にかかわっています。

 今日は民団文京支部の方々など関係者の皆さんと浅草の中山よしかつ事務所へ。中山よしかつ前代議士に協力要請です。 ご本人にも直接お会いし、快く応援の了解をいただきました。 

 今度の親善協会はイベントなどを通じた市民交流を中心にして絆を深めてくことが大きなテーマです。また、 超党派でなくてはなりません。

 立ち上げ当初は私たち地元議員が参加するとしても、軌道に乗ってきた時点で会員のみなさんに運営を任せるべきだと考えています。

 民団文京支部の皆さんの話によると「ハングル語教室」や「韓国料理教室」などなど・・・ その人材を活用して様々なイベントの実施が可能とのことです。

 韓流ブーム真っ只中の昨今ですから、きっとたくさんの人達が集まってく
るのではないでしょうか・・・?企画が決定しましらこの日記でも呼びかけをしますのでよろしくお願いします!

2006年05月27日

祝杯を!!(フープス1周年)

 私が監督を務めるバスケットボールチームNSフープスが結成1年を迎えました。今日は練習の後、 みんなで集まり1周年の祝杯を!!

 「よく続いてきたなぁ~」というのが実感です。バスケはハードなスポーツですし、メンバーもみんな35歳以上。 大きな怪我やアクシデントなくこうして1周年を迎えられたことが何よりの喜びです。

 残念ながら勝利の経験のない我がチームですが、この1年は絶対に1勝という悲願を果たしてまた美酒に酔いしれたいものです・・・。

2006年05月29日

強羅からの便り・・・(民営化の成果!)

 強羅にある旧文京区保養所「文の郷」からハガキが届きました。

 PRハガキのようです。予約の時にこのハガキを見たということを告げれば、日本酒またはジュース1本をサービスだそうです。 しかも文京区民は1泊2食で\6000-の区民料金です。

 旧ごうら荘が民営化されて1年が過ぎました。私も一度行ってきましたが、サービスや利用者の評判も上々なようです。 特に人数がまとまれば区内まで中型バスで送迎してくれるという新たなサービスも展開しています。

 このハガキもそうですが、収益をあげるための努力をするという点ではやはり民間にはかないません。 民営化の成果が現われているといってよいでしょう。

 ちなみに私は来月18日~19日根津弥生七ヶ町の研修会でこの文の郷を利用する予定です。

2006年05月30日

待ちに待って・・・(小学校運動会)

 春の運動会シーズンです。先週末行われる予定の小学校運動会は天候不良のため順延続き。 今日やっと開催することができました。

 私は根津・汐見の2小学校の運動会に出席。

 3日間も待たされたエネルギーが爆発したといった感じで、児童たちも元気に競技に熱中していました。

 それにしてもこの土日の微妙な天候に、「判断に悩んだ。」と両校の校長先生も異口同音におっしゃってました。 本来の開催日である土曜日には汐見は開会式のみ、根津は一部団体競技を体育館で実施するなど非常に苦慮された一面が垣間見られます。

 天候だけは如何ともし難いので、しかたありませんね。 でも今日のこの運動会も平日にもかかわらず保護者の観覧が非常に多かったよう感じました。スーツ姿のお父さんの姿もちらほら・・・。

 運動会は学校にとっても家族にとってもやっぱりビッグイベントですね。

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