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2004年05月のバックナンバー

2004年05月01日

中国という国・人

 最近書店では経済誌などを中心に「中国」を取り上げた書物が注目を集めているようです。

 ここ数年毎年10%近い経済成長を遂げている国。今後も爆発的な発展を遂げるとの論もあれば、 すでにバブル崩壊に向かっているとの見方もあり「巨像かそれとも虚像なのか・・・?」評価は分かれるところです。

 まぁ先のことは「神のみぞ知る」といったところでしょうが、 そのパワーたるや身近な私達の生活や地域の中でも如実に現れているのは事実でしょう。

 文京区に登録する外国人のうち中国国籍を持つ人は今や1000人を超えその数も年々増加、国別でもダントツの1位です。

 とりわけ文京区には大学・病院などの機関が多いせいか私の知る中国人の人達も学術関係の留学生であったり医師であったりと・・・ そこにはかつての出稼ぎ労働者的なイメージは全くありません。彼らは流暢に日本語を話し日本の文化や伝統に興味を抱き、 積極的にコミュニティに参加しようという意欲を感じさせます。
区内小中学校にも必ず数人の中国人の児童・生徒がいますし、何の違和感もなく日本の子供たちの中に溶け込んでいます。

 そういう環境の変化を肌で感じるようになったのはここ数年のこと。

 私達の身近かなコミュニティの中でもそうしたグローバル化が進んでいることを意識しなければと思います。

 現在文京区では国際協会が中心となって中国をはじめ国際交流事業が進められていますが大切なことは私達地域住民一人一人が身近な外国人の人達と
臆することなく、偏見をもつことなく積極的に接していくことだと思っています。

 外国の人達と出会いや、ふれあいがこれだけ身近かになったと思えば逆に私達にとってはこれはいいチャンスなのかも知れません・・・。

2004年05月02日

お灸をすえる。(戒めではありませんが・・・)

 変な写真でスミマセンが、お灸をすえているところです。

左手を右胸にあて、V字になったひじの部分から骨に沿って右指で押していく。(右手をやる場合は逆に・・・)
痛みを感じる部分が首筋のコリのつぼ、シグナルだそうです。

 その部分をほぐしていくことにより、首筋の緊張が緩みコリもほぐれると鍼灸師の先生から聞きました。

 お灸はなお効果的だそうなので早速試してみることに・・・。
 う~ん 熱い。でも気持ちいい。

 なんだか、首筋が軽くなったような気分に・・・。気のせいかな・・?。

肩こりが気になりだしたのは30歳を過ぎた頃、気になりだすと著しく集中力を欠くタイプなので解消法には気を使っています。
ストレッチ・枕を変える・マッサージなどなどいろいろやりましたが、完璧な解消法は未だ見つからず、 でも最近はバスケットボールなどのスポーツで
大きく改善はしてはいますが。

 今回のこの試み期待は大ですが、いずれにしてもこの肩こりというこの悩み、 仲良く長く付き合っていくしかないかなぁと楽観的に考える境地にいたった今日この頃です。(苦笑)

2004年05月04日

舞台裏から。(演芸大会の司会)

 文京つつじ祭りの期間中、根津神社境内「神楽殿」 で奉納される演芸大会は会場を訪れた人達を楽しませ、和ませてくれます。

 今日も午後1時より、地元の団体を中心として民謡・舞踊・詩吟などの芸能が奉納されました。
私は司会進行役に・・・。毎年連休中の1日、実行委員会よりお役目を頂戴しています。楽屋裏から会場の様子を眺めるのもなかなか面白く、 毎年このお手伝いを楽しみにしています。

 残念ながら、今年もつつじのほうはピークを過ぎてしまいましたが・・。

 つつじ祭りは明日最終日です。

2004年05月07日

42条2項道路・・・(細街路)。

(建築基準法)
42条2項 この章の規定が適用されるに至った際現に建築物が立ち並んでいる幅員4メートル未満の道で、特定行政庁の指定したものは、 前項の規定にかかわらず同項の道路とみなし、その中心線からの水平距離2メートルの線をその道路の境界線とみなす。ただし・・・(つづく)

 なんだか難しい条文ですが、簡単に言ってしまえば・・・
「私道や生活通路など細い路地などでも、行政が指定すれば道路となり、どんなに狭くても道幅は4メートル(中心から2m×両側) と定められる。」ということでこれが通称42条2項道路と呼ばれているものです。

 写真もその42条2項道路。もともと幅員は2mほどのちいさな「路地」でしたが沿道の建物が建て替えられる際に、 建物の壁面が後退し、道幅(中心から2m)が広がったものです。

 道路自体は私道ですので、広がった部分も私有地ですから建て替えの際、土地所有者から道路を部分を提供していただくのが原則、 その分提供していただいた部分の固定資産税が免除になります。

 こうして進められているのが「細街路整備事業」。

 防災上の観点やまちづくりの促進の意味でも必要ですが、区民の皆さんからも相談をよく受ける制度です。

1.どの道が42条2項道路なのかわからない・・・?
文京区では昭和25年にこの指定を行い公示されたようですが・・・。
建て替える時の建築確認の際に役所で初めて知ったというケースもあるようです。

2.協力が得られないケースも。
あくまでも私有地を提供してもらうという点では、「行政からのお願い」というスタンスになるため強制力がありません。
建て替え前は「確約」をもらっても実際には壁面が後退するだけで、自転車置場になったり犬小屋になったりと・・・。

3.一本の道が完全に広がるまでには何十年も・・・?
細街路が完全に幅員4メートルの道路になるためには沿道の建物すべてが建て替えられなければ完成しません。

4.一方メリットも・・・、袋小路の奥の家などは単独では建て替えられません。
でもその袋小路が42条2項道路に指定されていれば単独建て替えOK。

 私の地元根津・千駄木あたりは一本裏へ入ればほとんどが細街路、 徐々に整備が進められていますが木造密集地域で家一軒あたりの敷地も狭小であるため、道路部分提供が不可能な家々もあります。

 悩ましい限りです・・・。

 やはり中央区月島のように「地区計画」を定め、路地を活かしたまちづくりを進めるなり、 逆に共同化で再開発するなどおもいきった手を打っていかねば再生できないのではと考えます・・・。

2004年05月09日

人物往来絵図。(なかなかの力作です。)

「人物往来絵図(本郷界隈編)」が完成しました。(写真)

 作者は私の20年来の友人鈴木清彦氏。
学生時代に彼と知り合い、以後ずっと親しく付き合っています。
彼は品川区で学習塾の経営をしていますが、私の選挙の際にはいつも選対の中枢として活躍してくれています。

 絵と歴史に造詣が深い鈴木氏は早速文京区の文化的資源に注目、持ち前の能力を発揮して3年ほどかけてこの絵地図を完成させました。

 今回は「本郷界隈編」 真砂町を中心にしてこの付近にゆかりのあった歴史上の人物とその居住地跡などを似顔絵などをつけて紹介しています。

 独特のある絵タッチが特徴で、これが話題を呼び真砂市場の「樋口一葉記念イベント」でノベルティとして採用され、 約300枚が即日完配されました。

 現在鈴木氏は文京区全体の「往来絵図」(合計13枚)を作成中。

願わくば書店や文京区内の商店などにも置きたいと考えているようです。

 これだけ才能がある人ですから是非とも世に売り出していきたいと私も思ってますし、一見・ 一読してもらえればその素晴らしさは誰しもが解ってもらえるものと確信しています。

 また紹介をさせていただきますので、よろしくお願いします。

2004年05月13日

水防演習

 午前9時~ 教育の森で年に一度の文京区合同防災演習が実施されました。

 神田川の氾濫など水被害を想定した演習で、文京区役所・区内消防署および消防団をはじめ消防ボランティアなども加わり、 土嚢つくりや給排水作業・救難ボートの組み立てなどが実演で行われました。

 写真はマンホールから漏水、あふれた時の防水工法。

 神田川もポンプ場の整備など、これまで一定の対策が講じられたところですが、平成12年9月に発生した東海豪雨(総雨量589㎜・ 時間最大雨量114㎜)などの近年の降雨実績を踏まえるならば、より実質的な対策も必要となってくることでしょう。 やはり備えあれば憂いなしです・・・。 

 数字で見る文京。(外国人登録者数)  5月10日(月) 

 先だってこの日記でも文京区に住む外国人の方々について記しましたが、
正確な数字が気になったので調べてみました。

 平成16年4月1日現在、文京区に登録する外国人は6616人。

 国籍別では・・・。

 1位 中国2360人   2位 韓国2017人
 3位 アメリカ299人  4位 フィリピン236人
 5位 フランス237人  6位 インド143人
 7位 朝鮮129人    8位 イギリス115人
 9位 タイ107人    10位 ミャンマー86人
 11位 ベトナム77人   12位 オーストラリア66人
 13位 カナダ59人    14位 ブラジル51人
 15位 ドイツ44名     16位 バングラディシュ37人

 (一部です。)

 やはり中国・韓国などアジアからの人達が圧倒的に多いようです。
また文京区は大学や病院などの機関が多いので、 留学生の居住地という意味では他の自治体に比べれば登録者数や国籍別も多岐に渡っているのかも知れません・・・。

 ちなみにイラク人の登録者はゼロでした。

2004年05月14日

おはようを合言葉に。(ラジオ体操会総会)

17:30 文京区ラジオ体操連盟総会に出席。

 同連盟は会員数240名、主に高齢者の方々が中心ですが毎朝 教育の森公園・大塚公園・ 根津神社など区内各地でラジオ体操を励行されています。
もちろん会員以外の参加者も多数いるので実数はその2倍・3倍にも上るのではないかと思います。

 毎日早起きして体操で健康に努めている人達はやはり元気です。
今日の総会も夕刻の開会にもかかわらず「おはようございます!」と元気な掛け声で議事がスタートしました。

 「介護保険が導入されて以来、 年々要介護者が増加をしている昨今ですが介護保険や医療保険のお世話にならずに健康に暮らしておられる皆さんはそれだけでも区政に大きな貢献をされているということです。 」と来賓の煙山区長から激励の挨拶も・・・。

 実際老人医療費や介護保険費用がうなぎ上りに上昇する中、 こうした介護予防を自ら実践していただくことは大変大切なことだと思います。

 医療・年金・介護を社会全体で支えていく事は基本にあるとしても、 自らの健康や老後は自分で守っていくという意識が第一義的にあるのではないかと思います。 その意識を国民ひとりひとりが持たなければ当然国の制度自体も維持することは出来ないでしょう。

 明日も朝6時半文京区各地でラジオにあわせて「おはよう!」の声がいきかいます。

2004年05月15日

地域コミュニティの礎。(千二西町会総会)

18:30 私の住む町、千駄木二丁目西町会総会に一住民として参加。
会場の汐見会館には70名ほどの町会員が集いました。

 町会や自治会は私達の日常生活のなかで最も身近な住民組織のひとつ。
たずさわる人もみなボランティアで区報の配布やリサイクル事業、お祭りなどの行事に積極的に参加をしています。

 日頃はなかなか気付かないのですが、こうした影の協力があって地域が守られているということを忘れてはならないと思っています。

 まさに地域コミュニティの礎です。

 今日の総会でも15年度の事業報告・同決算の承認、16年度の予算など議案もスムースに進行。 役員改選では前年度に引き続き井岡恒夫氏が会長の職にあたることになりました。

 今後の懸案事項は法人化に向けての取り組み。財産の管理や事業運営上、任意団体から法人に変えて行く事は急務です。

 全町会員の2/3の同意を得なければならないという高いハードルもありますが、 総会出席者の合意も得られいよいよ今年度からそのチャレンジが始まることになりました。

 「和合と強調」が同町会の町是。その名の通りみんなで力を合わせてなんとか法人化の早期実現を図りたいものです。

2004年05月16日

大自然のなかで・・・(ます釣りandバーベキュー)

 今日は一日、根津藍染町会青年部主催の「日帰りレクレーション」に参加。

 私は住まいは千駄木ですが、生まれ育った実家(現私の事務所)が根津藍染町会にあるため、 住まいの町会と実家の町会の二つの地域で一町会員として事業に携わっています。藍染町会では青年部の一人として活動。

 今日は地域の子供たちを連れて、相模湖近くの早戸川国際ます釣り場へ、ます釣りとバーベキューをしに行きました。

 お天気はあいにくでしたが、小雨程度で助かりました・・・。

 ます釣りといっても、本格的なものではなく川に作られた天然の釣堀にマスを放流しそれを釣るというもの。子供でも簡単に楽しめます。

 40人で100匹以上は釣り上げたと思います。
釣りが初めてという子供たちも多かったのですが、あまりに釣れるので逆にビックリしていたようです。

 ハマッちゃう子達もいるのでは・・・?

 また、川原でのバーベキューも格別!

大自然のなかで日頃の雑踏を忘れ満喫する。
私自身も少年時代に帰りハシャいでしまいました。

 なんだか命の洗濯ができたようです・・・(苦笑)。

2004年05月17日

歯切れよさ、力強さを感じます。(れんほう事務所開き)

 午後4時、政界進出を決意した れんほうさんの事務所開きが行なわれました。

 神宮外苑前、事務所前の沿道には100名以上のサポーターが・・・。
管直人・鳩山由紀夫前代表・羽田孜特別代表らも駆けつけ、盛大に。

 私と彼女は青山学院大学法学部の同窓。母校出身の政治家はまだまだ少ないので、是非とも頑張ってもらいたいと願っています。

 さすがキャスターとして活躍しただけあって、しゃべり(演説)は抜群です。歯切れよく発音もいいので実に聞きやすい演説です。
普通街頭での演説はその抑揚や間のとり方にコツがいるのですが、ものをじしない堂々たる姿でした。

 時は逆風。政治いや政治家全体におおきな不信を抱かれている状況のなかでの船出はやや気の毒な感もありますが、持ち前の明るさと、 行動力でこうした疑念や不信を払拭すべく一歩一歩前進していってもらいたいと思っています。

2004年05月19日

アスベスト和解。(厚生委員会委員連絡会開催)

13:00 区議会第1委員会室において「厚生委員会委員連絡会」が開催されました。

 先日和解した「さしがや保育園アスベスト訴訟」について報告を受けるためです。 現在区議会は閉会中であるため正式な委員会は開催さることができませんが、委員会連絡会という形式で行われました。

 訴訟の概要および和解内容は以下の通り・・・。
1.訴訟事件名 損害賠償請求事件

2.当事者 原告2家族6人(内園児3名)   被告文京区及び工事施工3事業者

3.事件概要
平成11年に発生した文京区さしがや保育園でのアスベスト飛散事件について原告らが精神的な被害を被ったとして合計1200万円を連帯して賠償するよう東京地方裁判所に提起。

 数回の審理の後、同裁判所より和解勧告。その後協議・合意を経て和解へ。

4.主な和解内容
(1)文京区が園児ら被害者に謝罪。今後の再発防止を誓約。

(2)被告文京区は、「文京区さしがや保育園アスベスト暴露による健康対策等検討委員会の報告」 に基づき責任をもって今後の健康対策を実施する。

(3)原告園児3名に対し見舞金合計30万円を支払う。

(4)見舞金のほか原告ら6名に対し本件の解決金として合計210万円を支払う。

(5)原告らはその余の請求を放棄する。

(6)訴訟費用は各自の負担とする。

などです。

 解決金などの支出については議会の承認を受けるべき内容ですが、現在議会は閉会中で5月末日の支払期日までに召集する暇がないので、 地方自治法第179条第1項の規定に基づき、区長の専決処分として処理することとなりました。

 正式な報告は6月から始まる区議会第2回定例会で行われる予定です。

2004年05月20日

支援の輪を広げていくために・・・(代表者会議開催)

10:30 衆議院第一議員会館会議室で民主党から政界進出を決意した れんほうさんの地区代表者会議が開かれました。

 23区を中心とした民主党所属都議会議員・市議会・区議会議員が中心となった会議です。 今後どのように支援の輪を広げていくかがテーマ。

 全国的な知名度はあるものの後援会や組織もない彼女。まさにゼロからのスタートです。 各地区での街頭演説や集会など広範囲に活動していくためにはスケジュールの調整など効率的な動きが求められます。

 やはり私達のように地域に根付いた活動をしている地方議員が中心となって支えていかなければ・・・・。

 やはり地道な運動が基本であり、そして大切です。

2004年05月21日

地場産業からボトムアップ(産業連合会総会)

 18:00 文京区産業連合会総会(後楽園飯店)に。
会派の幹事長として招待を受け出席しました。

 文京区産業連合会は、商店連合会や観光協会、地場産業である印刷・製本組合など15の区内団体で構成される組織。 いわば文京区版経団連です。

 会長は(株)東京ドーム・林 有厚社長。(写真)
区内の経済政策団体の連合体として行政や私達区議会と密接的に結びつきながら区内企業の振興と発展に寄与しています。

 年に一度は私達区議会との意見交換会も開催され、 なかなか厳しい指摘を受けたりして私達もたじろぐ場面もあるのですがこうした現場での意見をしっかり受け止めていかなければチェック機関としての我々議会の権能も機能していきません。

 産業連合会としても組織の構造改善を今後の大きなテーマにしているようですが、 区議会としてもそうした積極的な取り組みを支援していくことはもとより現場の声に謙虚に耳を傾けていくことが求められているのだとつくづく感じます。

2004年05月23日

箱根へ(町会連合会研修会)

 一泊2日で行なわれた「根津七ヶ町合同研修会」に参加しました。
日頃から地域で町会自治会活動に携わっている人達が集い、年に一度の研修親睦旅行です。

 今回は7つの町から約40名が参加。宿泊所に着いた後の研修会では、文京区役所 瀧区民課長による行革計画に関連した「地域交遊館 (仮称)構想」についての説明を受けました。

 18:00からは大広間で懇親宴会が・・・。日頃は地域でよく顔は合わせるもののこうして一晩を共に過ごすことはありません。 カラオケなどにも興じ大いに盛り上がりました。

 共にボランティアで地域に貢献する人達。こうしたつながりや安らぎの場を持つことはとても大切です。 そうした絆があってこその地域コミュニティです。ましてや私の地元は下町なので・・・。

 宴会も9時過ぎには終了、その後三々五々部屋へ。 私の部屋は3人部屋でしたが布団に横になりテレビのナイター中継を見ているうちにうとうとと・・10時半ごろには寝入ってしまいました。

 こんな日もいいものです。

 明日11時半には役所で用があるので朝一番で東京に戻ります。

2004年05月24日

議会の活性化、その他(議会運営委員会・幹事長会から。)

8:00 ごうら荘を出発。
箱根登山鉄道・小田急線・都営大江戸線と乗り継いで11:30文京区役所へ着。

13:00 議会運営委員会開催。
「議会の活性化」をテーマに議会運営委員会で継続的に議会改革についての議論をしています。

 今日は千葉大学法経学部教授 大森わたる先生をお呼びしての講演と質疑。大森先生は行政学の権威で全国的にもその道の第一人者。
文京区でも基本構想の策定に関わられた方です。

 相変わらず歯に衣着せぬ論調での議会・議員への厳しい指摘には聞いている私達もタジタジです。しかし、 質疑合わせて2時間という短い講演ではありましたが、 議会の会議規則の矛盾に始まり果ては議員定数や報酬のありかたに至るまでの具体的な提言は大いに納得のいくものでした。

 「今こそ住民に最も身近な地方議会が活性化し、自浄努力をし、 住民との関係や行政との関係を正していかなければ真の地方自治は実現しない。国政の猿真似ではダメだ。」 という趣旨の大森先生の話は心打つものがあり、大いに励みになるものです。

 文京区議会全体で真摯に受け止め取り組んでいくことが大切です。

15:00 幹事長会が開催。
第3回区議会定例会の日程協議、 区側からの提案事項の説明などを受けましたが注目すべきは羽田空港の滑走路増設に伴う旅客機の離着陸ルートに関する問題。

 国土交通省では2009年の新滑走路共用に向け都心部(文京区上空を含む)上空ルートの新設を検討しているようです。 詳細については後日記したいと思いますが、安全性の面や騒音の観点から慎重に対応すべきと考えています。 会派のメンバーと充分協議しながら意見調整をしていくつもりです。

16:00 新生クラブ政調会を召集。学校選択性で課題となった区立第七中学問題について協議。 第七中学校は学校選択制導入により新一学年生がゼロとなり学校運営にも支障が生じています。
 近々に教育委員会の方針も示されるとの事ですが、 我が会派としては七中問題にととどまらず今後の区立中学校全体の適正配置を含め全体的な計画・ ビジョンを早急に示すべきという意見が大半を占めました。

 小手先でこの場をしのぐという手法はもはや通用せず、明確・明快な方向性を区民は望んでいるのだと思います。

 文の京(ふみのみやこ)にふさわしい教育とは?
 それを実現するための学校規模や配置はどうあるべき?

 これまでの制度や原理・原則にとらわれることなく、現実を直視して、 そして期限を明確にしてこの問題にたいする対策を講じていくことが今求められています。

この問題は私自身、今区政における最大のテーマだと感じています・・・。

2004年05月25日

儀礼的です・・・。(河川改修促進大会)

13:00 神宮外苑前日本青年館へ。
  「東京河川改修促進大会」に参加しました。年に一度の定例行事です。

 東京には神田川などいくつかの一級河川が多摩から東京湾に注いでいます。大雨や台風の影響で毎年河川の氾濫も起き対策も重要。

 そこで河川沿岸の地方自体が共同体(河川促進連盟)を結成。毎年治水や護岸整備・ 下水道の拡充など予算獲得のために国や東京都に陳情・要請していこうというのが大会の趣旨です。

 今日も会場には1000人位の自治体議員や職員などが結集しました。

 大会の趣旨は正しいし、 意気を上げるという観点からも必要かもしれませんがマンネリ化した議事の進行やあいも変わらずといった抽象的な大会決議の内容にはややうんざりです。

 極めて儀礼的・形式的なものだと感じます。

 このような大会やるやらないで予算の成否が決定するとしたならばそれこそおかしい・・・・そんな個人的な感想を抱いています。

 もっと新しい手法があっていいと・・・そう感じています。

2004年05月26日

やや上向きとも・・・?(商店街連合会総会)

 17:00 文京区商店街連合会総会に出席。 会場はシビックセンター26階スカイホールです。(写真)

 区議会からは正副議長・各会派幹事長・総務区民委員長が来賓として出席しました。長引く景気の低迷・ 大規模店舗の出店など文京の商店街もご多分に漏れず大苦戦ですが、区が補助するポイントカード事業やチャレンジショップ事業(空き店舗対策) などを活用して前向きな努力を続けています。

 今年度からは「若手商人(あきんど)塾」なる区との共同事業も開始し新たな挑戦に。

 区内税務署の最新情報によると直近の税の徴収状況は前年度比5~7%増という明るい話も聞こえてきています。

 景気もやや上向きか・・・?

 でも山戸善一会長はじめ壇上でマイクを握る方々からは「努力なくしては生き残っていけない!」との声が相次ぎました。

 私もかつては2年ほど商店街振興を所管する区議会総務区民委員長を努めた経験もあり、実情はよく承知をしているつもりです。 やはり意欲を持続しながら新しいことにどんどんチャレンジしていく。
そんな精神がやはり大切なのではないでしょうか・・・?

  そうすればきっと道は開けるはず。と信じます。

2004年05月27日

水戸大使来訪。(遠藤正則前区長が・・・)

15:00 区議会の私達会派(新生クラブ)の控え室に遠藤正則前文京区長(写真)が来訪されました。 現役を退かれて5年が経過したものの変わらずお元気です。

 今でも時々会合や打ち合わせなどで来庁されているようで、時間がある時にはちょくちょく私達の部屋にもお寄り頂いています。

 とてもありがたい事です。

 特にその時にお話し頂ける区長時代の文京区政の事や経験に基づいたアドバイスなどは我々にとっても大いに参考になるところです。

 また、今日ビックリしたのは現在の遠藤氏の肩書き・・・。
名刺を見せていただきましたがそこには「水戸大使 遠藤正則」と書かれていました。な・なんと水戸には大使がいたのです。

 名刺の裏にはこう書かれていました。「水戸大使は本市出身、本市ゆかりの方々で、 各界分野でご活躍の方々のお力添えをいただきながら、観光宣伝を通じまして本市のPRをしていただいております。 水戸市長 加藤浩一」と・ ・・。

 水戸市にとっても遠藤正則という人は誇りなのでしょう。

 地元ゆかりの著名人を活かしPRしていくというのはなかなか的を得た戦略だと思いました。

 是非とも文京区でも参考にすべきでしょう。

 それにしても遠藤氏はご立派です、現役を退いてもなお故郷を愛す気持ちを持って、そしてふるさとのために尽くす。 そんな生涯貢献の精神で貫く人生には心から敬服します。

2004年05月28日

れんほう文京へ!(初の街頭活動)

 来る参議院議員選挙東京選挙区で民主党の公認が決定した元報道キャスターれんほうさんの街頭活動が本日午後5時、 水道橋交差点で行なわれました。

 地元からは私達「れんほうを支援する文京区議団」10名がこぞって参加。彼女の演説の中、 その政策やプロフィールを紹介する広報ビラを行き交う人達に配布。約1時間の街頭での訴えが・・・。

 付近は帰宅途中のサラリーマンや東京ドームへ野球観戦に向かう人達でごった返していましたが途中足を止め、 彼女の演説に耳を傾ける群集もでき・・さすがに知名度があります。

 また、演説も見事なもので年金問題・食や子供たちの安全・ イラクや北朝鮮をはじめとする外交問題など40分間にも渡る大演説でしたが聴く人を飽きさせる事の無い歯切れよい見事な話でした。

 やはりこういう人材を国政に送らねば日本の将来は変わりません。

 組織や後ろ盾もなく、政治不信という逆風のなかに立つ彼女ですがこうした熱い思いは必ずや有権者の心を打つものと確信しています。  

2004年05月29日

もう夢中です。(運動会各地にて・・・)

 区立小学校運動会が各地で・・・。お天気に恵まれ何よりです。

私も今日2箇所ほどの会場を歩いて廻って来ました。
可愛らしい子供達の姿はさることながら、目を引いたのを真剣な面持ちでビデオカメラを回すお父さん・お母さん方の様子。もう夢中です。

カメラの向けられる先はそれぞれ様々、そしてファインダーの中にはそれぞれのヒーロー・ヒロインがいます。

 私もそうして一人娘を撮ってきましたが、中学に入学し親子の間にもやや距離ができてカメラを持つ機会も少なくなってしまいました・・ (苦笑)。

2004年05月31日

チャコ姉ちゃんと私。(映画「折り梅」から・・・)

 一昨日(土曜日)夜、フジテレビ系列で特別企画として放映された「折り梅」。

 義母の痴呆に戸惑い、悩みながらも現実と義母の人生に向き合った主婦の実話を映画化したものです。その後、 地味ながらも町から町へと上映の輪がまたたく間に広がってその数は年内に1000箇所、観客100万人を超えようとしています。

 介護の現実がそれほど社会的に大きなテーマになっているということでしょう。

 製作・監督は松井久子さん。

 実は私の母方の従姉(いとこ)です・・・。

母が姉である伯母を頼っていたこともあり、子供の頃私は松井の家によく預けられていました。
 その家の次女が久子さん。当時私は彼女を「チャコ姉ちゃん!」と呼んでいました。いつも明るく、まっすぐな性格で、 今思えば当時の女性としては珍しく自立した女性でした。

 有名都立高校から早稲田の演劇科へ、卒業後は女性雑誌編集や芸能プロダクション関係の仕事と・・・ 華々しい業界で活躍する彼女でした。
その後、テレビ製作や映画制作に取り組んでいるとの話も聞いていましたが、私自身ほとんど会う機会はありませんでした。

 6年程前、彼女の第一作目の作品「ユキエ」の初上映の時に招待を受け10年ぶりぐらいに再会。銀座の小さな映画館でしたが、 来場者ひとり一人に声をかけ見送る彼女の姿が今も忘れられません。

 以来、こうして一作・二作と話題を呼んでテレビで放映されるなんてことはまさか夢にも思っていませんでしたが、 「あのチャコ姉ちゃんが作った映画がテレビ放映される!」ややミーハー的ではありますが嬉しさを噛み締めながら画面に見入っていました。

 あの頃私は4歳くらいだったでしょうか・・・?当時もうすでに大学生だったチャコ姉ちゃんが、 江東区東雲にあった松井の家の庭で私とよく遊んでくれたことを今、思い出しています・・・。

 あれから35年、お互いだいぶ歳をとってしまいました・・・

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