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2003年07月のバックナンバー

2003年07月01日

議会の窓として(議会運営委員会から・・・)

 社会にルールがあるように、議会運営にもルールがあり、それに則り議会が運営されています。そうしたルールを作り・監督し・ 問題が起こったときに解決の窓口になるのが議会運営委員会。

 議会運営委員会が本日午前10時より開催され、当面の議会運営上の課題について協議がなされました。私も委員として主席。
改選後初の議運であるため、前期に積み残した課題について確認された後に、議会のIT化計画、会議録のインターネット公開について、 NPM予算編成システムと議会費についてなど協議されました。

 特にインターネット上の会議録公開については、個人情報(氏名・住所)などをどのように保護していくかが問題となり、 和解や損害賠償についての被害者側の個人情報(例えば、子供が児童館で怪我をして、区が治療費などの損害賠償を支払うケースなど。) については、ネット上の公開を差し控えるべきとの観点から、当面議長の判断のもとに公開しないこととしました。

 ネット上の会議録の公開における個人情報をどう取り扱い、保護していくべきかは今後大きな課題になると思われます。

2003年07月03日

盛りだくさんでしたが・・・。(厚生委員会から)

本日午前10時より「厚生委員会」が開催されました。私も委員として出席。
主な質疑および審議項目は。
1.福祉施設の第三者評価(試行)について。
2.国民年金等の改定について。
3.文京区健康危機管理マニュアルについて。
4.重症急性呼吸器症候群(SARS)の対応について。
5.平成14年度節目検診の実施結果について。
6.文京区子ども家庭支援センター条例(新規条例)などなど・・・。

今回報告事項や審議事項の数は少なかったのですが、質疑や審議内容は盛りだくさんの委員会となりました。

また今日の委員会では一般質問と呼ばれる、自由な質疑の中で過日かごまち保育園で起きた「園児の置き去り」事故について大きな問題・ 議論となりました。

 事故の概要は、園児を連れ散歩のため駒込公園まで出かけたが、帰りの際の人数確認を怠った結果、 園児を一人駒込公園に置き去りにしてしまったというもの。幸い大きな事故には至らなかったものの、あってはならない事です。 今後このようなことが二度と起きぬよう再発防止のための対策が求められます。

 そもそも保育園における安全対策は、各保育園の経験やノウハウによって定められているようで文京区としての共通のマニュアルや、 共通認識はないようです。これを契機に、園長会や区としても「安全対策」についての重要性を今一度再認識し共通のテーマとして捉え、 再発防止に向け早急な対策を講じるべきです。

2003年07月04日

浅草よつば会(心意気を感じます。)

  浅草よつば会は、台東区浅草の40代の若手実業家の親睦団体。
台東区立富士小学校、48年卒の同級生が中心の会で48=よつばと名づけられたそうです。 そうした皆さんが今日は私のために懇親会を開いてくれました。

 よつば会のメンバーである田島氏から初めてメールが来たのが、今から半年ぐらい前のことでした。「ネットサーフィンをしていたら、 渡辺さんのホームページに遭遇しました。私達は同級生を中心とした親睦の会をやっています。政治や地域の活性化にも関心を持っています。 渡辺さんの選挙区ではないけれど、是非交流してみませんか?」
そしてそんな田島さんがメールをくれた理由のひとつに、「私の親父が渡辺さんのことをよく知っていると聞きました。」との一言が・・・。

 私は20代の頃、当時地元選出であった衆議院議員鳩山邦夫氏の私設秘書として地区担当秘書として浅草の地回りをしていました。 その当時お世話になった地元後援者の一人が田島氏のお父様。

 そんなきっかけのもとに、田島氏との付き合いが始まり今日の「よつば会」のメンバーの皆さんとの「飲み会」が実現。

 夜7時より浅草観音裏の金太楼寿司には、6名ほどのメンバーが。田島氏以外の人とはみな初対面。はじめ緊張した雰囲気は漂いつつも、 お酒がはいるほどに打ち解け、政治のこと・地域コミュニティのこと・それぞれの生き様のこと、などなど・・・。」
初対面でも、感じること思っていることは、立場や環境・地域に関係なく共有できる。と同時に熱く、 楽しい語らいの中に下町浅草の心意気を感じました。

 多くの人と出会い、関わっていくこと。それが「政治の原点」でしょうか。

2003年07月05日

新たな出発を見守る。(歳和28才)

 午前中、地元でお世話になっている後援会の方のご主人がご逝去され告別式へ参列、 午後からは親戚の結婚式と、黒と白のネクタイ片手の1日に。
私達の世界ではよくあることですが、気持ちの切り替えが・・・。

 正午、御茶ノ水の「山の上ホテル」では私のいとこの長男が28歳を機に、良き伴侶を得て、晴れの披露宴が行われました。 何の予告もなしに、私が親戚代表で挨拶することになるなど、困った一場面もありましたがとても和やかで、いい披露宴でした。新郎・ 井浦歳和くんは未だ28歳ですが、いつも明るくさわやかで心優しい好青年。自立心も強く、 家業でもある絵画や骨董など美術関係の仕事で独立しようとしています。

 仕事と家庭の両立は、それほど生易しいものではなく・・ましてや自ら独立してやっていくとなれば相当の覚悟が必要でしょう。 それを敢えて選択し、2人で0からスタートしようというその決意を立派だと思うし、是非、 夢の実現に向けて2人で頑張ってもらいたいと思っています。

 それにしても最近の若者達はカッコがいい。今日の新郎・新婦も衣装もバッチリで雑誌から抜け出したよう。そんな二人を見つめながら、 かつての自分を振り返ったりして・・・あれからもう10年以上も経ってしまいました。
今は現実の世界にいます。(苦笑)

2003年07月08日

今日一日。(幹事長会、献血推進協議会。)

 午前10時より幹事長会が開催。
協議事項
1.訴訟関係。(情報公開請求に関わる民事訴訟、原告が上告。)
2.第3回定例会の日程について。
3.東京ドームにおける公営競輪復活に反対する要請行動について。
  7月10日、都庁および都議会へ区長・正副議長が要請に・・・。
4.特別区議会議長会の要望活動について。
  5件の要望事項(乳幼児医療費助成・不燃化促進事業・放置自転車対策など)に
  ついて各会派で合意。国や都への要望項目として議長会へ提出。
5.選挙管理委員会委員および補充員の選挙について。

正午から、新生クラブ会派総会を開き幹事長会での協議事項につき所属議員に報告。その後、 今定例会での各委員会における審議審議内容について各委員よりの報告をもらい、議論を深めました。

午後2時からは文京区の附属機関である「献血推進協議会」に委員として出席。
昨年度の区内献血実績、今年度の事業予定など報告を受けました。

夜は東村議長、戸井田副幹事長、斉田議員らと軽い食事をとりながら打ち合わせを。

明日、9日が定例会最終日。議案の採決が行われます。

2003年07月09日

定例会最終日。

 定例会最終日の今日。
午前10時より議会運営委員会開催。本日の本会議の予定など説明を受ける。
議会運営委員会終了後、議長から各会派幹事長に明日の都知事並びに都議会への要請行動につき、 同行を求められ明日行動を共にすることとなりました。

12時より会派総会
13時より全員協議会

14時  本会議 今定例会に上程された議案(条例案6件・事件案1件)を採決、いずれも可決。 その後選挙管理委員会の選挙が行われました。
結果、利根川政次氏・川村忠治氏・樋田のぶひろ氏・川口豊氏の4名が選挙管理委員
に当選しました。

2003年07月10日

都庁へ!(知事・都議会議長に要請行動。

 今朝の新聞各紙にも報道されましたが、競輪復活反対の要請に煙山区長と共に、都庁へ。 メンバーは煙山区長・東村区議会議長・橋本副議長そして私を含めた区議会各会派の幹事長5名。

 12時半に都庁第1庁舎会議室にて、都知事宛ての要請書を提出。知事との面会はかなわず、代理として秘書部長が対応。
 13時からは、都議会議事堂応接室にて、都議会議長宛ての要請書を、これまた議長との面会はかなわず、 都議会管理部長が代理で受け取られました。
過日行われた石原知事の所信表明では「今後文京区など関係者とよく相談していく
。」などと言明していたのに今日の要請には知事はおろか、担当副知事や知事本部長にすら面会を断られたことに大きな不満を感じます。
とても不本意です。

 区役所に戻り午後3時からの石原都知事の「定例記者会見」をMXテレビの生中継を見ていました。案の定、 記者から競輪復活についての質問が・・・。
知事の答えは「もう少し根回しをしてから所信表明に盛り込むべきだった。地元の声を無視してやるつもりはない。 もう少し広範な意見を聞いてから結論を出す。」
とのやや後退気味の発言でした。

 情勢は今のところややこちらに有利か?

今後も、区と区議会そして区民が一体となり、競輪復活阻止に向け粘り強い運動を続けていきます。

2003年07月12日

習慣にする・・・(手書きハガキ)

 思えば、私達の周囲には様々な情報・文書・活字が氾濫していますが「手書き」 の文書を目にする機会が少なくなったような気がします。

 仕事で使う資料はもとより、今やプライベートな手紙や年賀状なども「ワープロ仕上げ」が主流。自分自身を振り返ってみても・・・、 年々ペンを持つ機会が少なくなってきている。その影響か、漢字が書けなくなってしまいました。読むことはできても、 いざ書けといわれると正しく書けない。

 そんな反省を抱きつつ、手書きの「お便り」を書くことを思い立ちました。PRも兼ね写真入りの「専用まさしハガキ」を印刷・作成し、 日々少しづつ、いただいた手紙の返信や近況報告など・・・下手な自筆の文字に幻滅しつつも書き続けています。

 いつまで続くことやら・・・と思われるかもしれませんが、とにかくチャレンジ!思いついたらまずはトライしてみる。

 そんな心境で試みています。是非、お便りお待ちしています。(リクエストがあれば、電子メールの返信にも手書きでお応えします。)

2003年07月13日

逸材を輩出してきました。(区民水泳大会)

 第28回文京区民水泳大会が、教育の森スポーツセンターの室内プールで開催されました。 参加者500名は過去最高だと聞きました。
文京区民水泳大会は過去日本を代表するようなスイマーを輩出してきた伝統ある大会です。
文京区には日本大学豊山高校をはじめとして、水泳に力を入れる学校が数多くあります。それらの生徒や学生達がこの大会に出場し、 腕を磨くのです。

 明日からバルセロナで開催される世界水泳にも、この大会に出場した高校生2人が選抜選手として世界に挑みます。また、 今話題を集めている平泳ぎの北島康介選手も文京区立文林中学校の出身。

 文京区は水泳では「名門」なんです・・・。

今大会、主催は文京区でありますが運営は全て文京区水泳連盟に委ねられています。水泳連盟はこの他にも、「ぜんそく児水泳教室」 「夏のプール開放指導員派遣」「着衣水泳講習会」など、数々の区の事業に協力をしています。 区内体育協会傘下の連盟の中でもこれだけ文京区の事業に貢献している連盟はないのではないかとも思います。

 
 煙山区長は、今期の公約として「NPOなどを通じた区民との協働関係の構築=ガバナンス」を打ち出しています。そのツールとして 「区民憲章」も策定するようですが、そのような意味では、水泳連盟と文京区との関係はそうした「協働関係」 を築いていくための生きたお手本になるのではと思っています。

 水泳指導員にしろプール監視員にせよ、それは人命を預かる大事な役目。
「文京の水は区民の手で守っていく。」これを実践していくこと。
これが自治(ガバナンス)の基本・・・。私はそう思います。

2003年07月14日

行革プランについての勉強会(いきいきとさせるために・・・)

 今日私達会派で「行革プラン」についての勉強会を開きました。
定例会終了直後ではありますが、各議員熱心な意見・討論が展開されました。

 先の定例会本会議で私が区長に質問した通り「行財政改革」は文京区にとっても早急な課題。それらの実現のために 「新生文京いきいきプラン」が策定進行中です。
 今日の勉強会の中での一番のテーマは「職員数の見直し(削減)」と「公共施設の適正配置」について・・・。 計画期間5年間でどれくらい職員数を削減できるか?
公共施設の廃止・統合を含めどのように有効活用を図ってくべきか?
また、行革とあわせて進めていく「民間委託」(保育園の公設民営化・学校給食や図書館カウンター業務の一部委託など) をいかに区民サービスの向上につなげていくか?などなど・・・各所属議員から意見がでました。

 「いきいきプラン」は庁内検討部会で協議された後、区民などで構成される「新生ぶんきょうをつくる区民協議会」 で再度協議されまとめられます。
議会に示されるのは未だ少し先のようですが、是非とも具体的な数値目標や実施計画を示した「プラン」となるよう望んでいます。
 

2003年07月16日

悩める公務員?(やはりストレスがたまります。)

今日新聞で、ストレスが原因で「うつ病」にかかる人が急激に増加しているとの記事を読みました。現代社会を象徴するような実態です。

 そういえば、先の定例会・総務区民委員会でわが会派の斉田議員が、職員課長に「区役所職員の長期休暇の現状」について質問、 やり取りをしていました。
それによると・・・。
1.職員長期病欠は平成11年が125人、延べ4473人。昨年14年が134人、延べ5 650日。(やや増加。)

2.病欠のうち、心療内科系の疾患(自律神経失調症・うつ病)などによるものは 平成11年10人。 それが昨年14年は26人と倍増しています。

世間では、役人天国などと言われて非難のターゲットとされている公務員の方々ではありますが、やはりストレスは溜まるようです・・・。

とすると矛先はやはり「政治家」に・・・?

私達政治にたずさわる者にもストレスはやっぱり溜まります。
なかなか理解されないようですが・・・(苦笑)

 

2003年07月17日

はるばる湯之谷村から。(議員交流会)

 文京区と交流の深い新潟県湯之谷村から、 村長をはじめ16名の村議会議員の方々が文京区役所を訪問されました。 4年に一度議会改選直後に開かれる 「文京区との議会交流会」参加のために。

 文京区からは煙山区長ほか正副議長、各会派幹事長が出席し意見交換会ならびに昼食を交えての懇親会が行われました。 私も新生クラブ幹事長として出席。

 湯之谷村と文京区との間で交流がはじまったのは昭和54年のこと。当時遠藤文京区長と星湯之谷村村長との合意の下、国土庁の 「山林との交流事業」補助金を活用して区民保養施設「湯之谷やまびこ荘」が完成しました。以来20有余年、多くの区民がこの地を訪れ、 奥只見や尾瀬などの大自然と親しみ・楽しむための施設としてこの「やまびこ荘」 が利用されると共に文京区と湯之谷村の交流事業が数多く実施されています。

今日の交流会では、湯之谷村の町村合併についてが話題となりました。
湯之谷村では近隣六ヶ町村との合併作業が進んでいます。今年8月には合併に向けての調印式が行われ、来年11月には正式合。 併新たに人口45000人の「魚沼市」が誕生します。

 湯之谷村 星村長のお話によると「財政上、合併をしていかなければ生き残っていけない。」との事。地方、 とりわけ過疎地の厳しい現状がうかがえます。

 村長ほか湯之谷村議員団は、午後から文京区同様交流の深い千葉県富浦町を訪問されるようです。
実に精力的です。

2003年07月18日

あれから20年(学友たちとともに)

 大学時代のクラスメート達と、久々に会いました。
今では、互いの結婚式ぐらいしか会う機会がなかったのですが「暑気払い」を名目に何年ぶりかの再開。

 4年間、同じクラスで学んだ仲間達。厚木校舎で過ごした教養課程での2年間が思い出されます。 そいえば当時はみんな小田急線沿線に下宿していて、試験の前になると、 小田急相模原や成城など狭いアパートにみんなが集まっては一夜づけで勉強してた・・・。

 あれからもう20年近くも経ってしまいました。

 銀座の居酒屋で酔うほどに昔話しや近況について盛り上がり、生ビールが1杯・2杯・・ワインが1本・2本と・・・ 気がつくと12時近くに。
こんなに飲んだのは久しぶり。みんなもへべれけ状態だったと思います。

 当時はスタジアムジャンパーを自慢に学業そっちのけでテニスやウインドサーフィン・ ジャズに興じるイケテルお兄さんを気取ってた俺達も、今や単なる酔っ払いの中年オジさんに成り下がったか・・・?
でも気持ちはみんなあの時と同じ。頑張ろう!おじさん達!

2003年07月19日

つつじ会総会

 ぶんきょう「花の五大まつり」のひとつ「つつじまつり」 の運営母体である文京つつじ会の総会が根津神社・社務所にて開催されました。
私も総務部委員として出席。今回のつつじまつりの事業報告や会計決算などが承認されました。

 今年で第34回目を迎えたつつじまつり、4月10日~5月5日までの間天候にも恵まれ、実に65万人(推定)の来場者。 多くの人の心を和ませ、そして楽しませました。会場設営や甘酒茶屋の運営など26日間、ボランティアでご協力いただいた、 根津神社氏子町会を中心とした「つつじ会」委員のみなさんには、ただただ感謝の一言です。

 会計決算では、支出が収入を若干上回り結果として約200万円ほど積立金会計から繰り入れることとなりましたが、別会計の 「甘酒茶屋」の売り上げが好調であったため、充分カバーできた様子。

 回を重ねて34回、まさに継続は力なり。
 今では根津神社の「つつじ」は全国的にも名が知れるようになりました。

 来年は来場者目標「100万人」か・・・?。 

2003年07月20日

文京VS清水(少年サッカーの市民交流を通じて・・・)

 少年サッカーを通じた、文京区と静岡県清水との交流が深まっています。
文京区千駄木地域を中心に結成された少年サッカーチーム「ラスカル千駄木」が数年前から始めた交流イベントです。

 今日、明日と静岡県静岡市「清水富士見サッカー少年団」を文京区に向かえ2日間に渡り、サッカー・ ホームスティと盛りだくさんの内容で子供達にとっては貴重な体験となりそうです。

 「ラスカル千駄木」は地元の地域コミュニィティの育成を目的に、千駄木小学校の父母の皆さんが結成したチームで、 私が関わっている本郷ライオンズクラブの「青少年サッカー大会」の事務局としてのお手伝いもしていただいています。 スタッフである父母の皆さんの意識そして熱意には、本当に頭が下がる思いがします。

 今日も交流試合の後は、各家庭で清水の子供達をホームスティさせるとの事です。一層交流が深まることでしょう。 (清水の引率保護者のみなさんは区内の旅館に宿泊予定。)

 静岡県清水市(今は市町村合併により静岡市となりましたが・・・)といえばまさにサッカーのメッカ。レベルも相当なものでしょう。 開会式の後、合同でのアップ、4年生の試合を拝見しましたが「ラスカル」もなかなかのもの。頑張ってます。

 文京区は正直言ってサッカーでは後進地域。少年サッカーも人気はうなぎ上りであるのに、行政としての育成はまだまだ・・・。 こうした市民交流を立派なお手本にしていきながら、区としても少年サッカーの振興に力を注ぐべきです。 私もそのように努力していきたいと改めて感じました。

2003年07月21日

まちかど訓練(リアリティがあります・・・。)

 今日、「まちかど防災・防火訓練」が近所で行われました。
地元町会、本郷消防署・駒込警察が共同主催で、千駄木の裏路地には狭いながらも50~60名ぐらいの地域住民が集まりました。

 防火訓練では、小型消火器を使っての初期消火訓練や救急蘇生法・三角巾を使っての応急手当についての講習。
防犯訓練では、ピッキングの防止法や自転車を狙っての「ひったくり」への対処法など・・・警察防犯課の係長さんの実演は、 なかなか説得力がありご婦人の方々は真剣な眼差しで話を聞いていました。

 会議室や学校の校庭などで行われる訓練よりも、こうした火災や犯罪の現場となる街角で行う訓練のほうがリアルだし、 臨場感があって良いですね。 

2003年07月23日

守り、育み、伝える使命が。(高村 規 写真展)

 文京区千駄木在住、高村 規(たかむら ただし) 氏の写真展が文京シビックセンター1階のギャラリーにて開催されています。

 規氏(写真)は、日本を代表する彫刻家高村光雲氏のお孫さんであり、詩人高村光太郎氏の甥子さんでもあります。高村家は、 文京区駒込町(当時、現在は千駄木5丁目)に居を構え、その芸術活動を開花させました。
高村 規氏は、今現在もその地に住み光雲・光太郎の文化的遺産を伝えるべく、写真家としてその普及活動に努めていらっしゃいます。

 今回の写真展では祖父光雲氏の作品を自らの手で撮影されたものを展示、訪れた方々に多くの感動を与えています。
世界的な評価を受けた「老猿」や西郷隆盛・楠正成・聖徳太子像など実物が眼前に迫るような写真に目を奪われるほど・・・。
遺伝子を受け継ぎ、尊い文化的遺産を継承・伝承していこうとする規氏の気概がうかがわれます。

「光雲の作品は手元にはほとんど残っていません。当時は光雲も芸術家として食べていくは厳しくて、 作った作品はすべて生活の糧となりましたよ。でもなんとか、1・2点は私が自力で買い戻しましたが・・・。」
「伯父光太郎は、長男であるにもかかわらず家督を譲り自由奔放な生き方を貫きました。でも私にとってはごくごく普通のおじさんで、 芸術家臭さを感じさせることがなかった・・・。」と規氏は語ります。

 光雲氏は彫刻家、光太郎氏は詩人、そして規氏は写真家としてそれぞれ自らの道を歩んでいます。そこには「親の七光りはダメ。 自らの力で夢を切り開け。」という高村家を貫く生き様を感じました。

 高村 規写真展は、7月30日まで文京シビックセンター1階、ギャラリーにて開催中。

2003年07月24日

正しい道筋であると思います。(民主・自由の合流について)

 民主党と自由党の合併が昨日明らかにされました。
昨夜からのマスコミ報道、今朝の新聞紙面でも賛否両論・・・いやむしろ「政策論争なき野合、数合わせ、大バクチ」 などと否定的な見方が強いようです。

 私は正しい道筋であると思っています。

 政権交代が可能な選挙制度の実現をするために細川連立内閣で「小選挙区制度」が導入されて早10年。 結果として政権交代は実現しませんでした。野党がだらしない、政治そのものに対する国民の不信など要因は様々あるでしょうが、 決定的だったのは野党が自民党と対等に戦えるだけの、基盤をつくれなかったということ。
それに尽きると思います。

 全選挙区に候補者がたてられない。野党のなかでの足並みはそろわない。肝心の候補者の選挙基盤は脆弱。 そんな状況では勝てるわけがない・・・。
確かに政策で戦うことは極めて重要だと思います。でも、まだまだ政策だけで勝てるほど日本の有権者意識は成熟していないのだと感じます。
 だから、今野党に求められるのは自民党とがっぷりよつに組めるほどの基盤を作ること、勢力を拡大していくこと。 まずはそのことを最優先とすべきです。
そうでなければ、絶対に自民党には勝てない。選挙は極めて現実的であり、無情でもあります。理想や理念も大事だけど「政権交代」 を本当に実現しようとすならば民主党にとっても自由党にとっても他に選択肢はないでしょう。

 国民は政権交代を望んでいます。でも野党には任せられないとの不安は絶大。
そうしたマイナスイメージを払拭するためにも、当面の批判や非難は覚悟の上で、今後しっかりと国民の声に耳を傾けていきながら 「あるべき日本の姿」をしっかりと示し、民主党が国民の信頼を受ける政党に生まれ変わること。そう望んでいます。

 私は党籍は民主党ですが、従来から自由党のわかりやすい政策や小沢党首のはっきりした言動には共感をえていました。衆議院・ 参議院の選挙では、 立候補者が出ていないのにもかかわらず文京区では比例代表で自由党票が毎回6000~7000票ぐらいは確実に出ています。 根強い人気はあるのだと感じます。

 しかし、選挙はやってみないとわからない。今回の合併が「吉と出るか、凶と出るか?」それを決めるのは国民ひとりひとりです。

 次の選挙で正しい審判がくだることを祈ります。

2003年07月25日

体操のおにいさん?(夏季ラジオ体操)

 夏休み恒例の「夏季ラジオ体操」が今月21により始まりました。
私の地域の会場は根津神社境内。毎朝6時半、会場には小学生からお年寄りまで幅広い世代が集い一日の始めを気持ちよく過ごしています。

 昨日そして今日と当番である私が壇上にあがり模範演技を・・・。(写真)
ラジオの生放送にあわせて第一体操・第2体操と、 みんなと向かい合っているため手の動作を通常の反対にしなければならないのがヤッカイなところ。
もう何年もやってますが、大勢の人たちの注目を受けての演技ですからやっぱり緊張します。

 早起きするせいか、この期間は1日がとても長く感じられます。でも昼食後には必ずあくびが・・・。夜更かしもせずに、 健康的な生活を送っています。
ラジオ体操は8月4日まで。

2003年07月26日

リフレッシュと体力回復を目指し(今はバスケに夢中?)

 今月39歳になります。もう完璧なオジサンです。 そんな私が体力の回復とリフレッシュを兼ね最近始めたのが「バスケットボール」。

 小学校時代は野球少年でしたが、中学高校と6年間はバスケットボールをやっていました。
今でこそNBAが日本でも人気が出て、バスケもメジャーなスポーツの仲間入りをしましたが、当時はまだまだ人気も下火。
それでも6年間結構ハードな練習もこなし、体力にも自信がついたと自負しています。
しかし高校卒業後はコートで汗を流す機会も全くなくなりそれっきりに・・
・。

 小学校のPTAでバスケットボール大会が開催されていると知ったのが、つい先だってのこと。それを聞いて、 いてもたってもいられなくなり近所の小学校の体育館に通うようになりました。
そこには私と同じ30代、40代のお父さん・お母さんたちが、 それぞれ体力づくりとリフレッシュそして当時のカンを取り戻すべく汗を流しています。
 私も含めて誰しも学生時代のような俊敏な動きというわけにはいかないようですが、息も絶え絶え、足がもつれながらも楽しく過ごしています。

 健康を保持していく上で、スポーツを続けていくことは大切なことです。
でも、日々積み重ねて持続し続けることは難しい。

毎日ジムやプールに通い続けて健康づくりをしている人がいるけれど、それにはすごい努力と根気が必要だし私には到底できそうもない・・ ・。
そんな私にとっては、こうして競技性のあるスポーツをそこそこ楽しく、無理なくできることは願ってもないことです。

 ゴルフ、ソフトボール、ビーチバレーとスポーツにはチャレンジ精神旺盛な私ですが今はバスケに夢中といったところでしょうか・・・。
 
 時間を作って是非、続けていきたいと思っています。

2003年07月28日

議会運営委員会

 本日午後1時より議会運営委員会が開催されました。
1.第3回定例会に提案される事項。(予算案2件、決算案4件・追加の可能性あり)

2.  同   会期の決定 9月8日~10月10日まで33日間。

3.平成14年度 文京区各会計歳入歳出決算の概要説明。
   一般会計は歳入総額(収入済額)約638億6000万円、歳出総額(支出
   済額)611億8000万円。翌年に繰り越すべき財源8900万円

4.決算審査特別委員会設置が決定。

 
 議会運営委員会終了後、幹事長会を開催。総務部長より競輪問題についてのその後の動きについて説明を受けました。内容は・・・ 競輪復活反対に向けての自主的な区民組織が立ち上がる予定。7月29日、準備会を設置。 シビックセンター4階シルバーホールにて第1回会議を予定。終了後記者会見を行うとの事。

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