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2003年03月のバックナンバー

2003年03月02日

地域危険度をどう捉えていくか?(危険度測定調査より)

 第5回「地震に関する地域危険度測定調査」が東京都により行われ、その結果が公表されました。 都内全5073町丁目を対象に地域ごとにその危険度を数値で表したものです。(区報でも紹介されました。)
 総合危険度では文京区において、最も危険度ランクの高い「5」が水道二丁目に出現。
部門別には建物倒壊危険度で、根津二丁目が5073中「3位」に・・・。
火災危険度では千駄木1丁目が「3位」・千駄木二丁目が「7位」にランクしてしまいました。
この調査は、現地調査のほか様々な係数を掛け合わせた結果順位を出したものだそうで、あくまでも目安であるようです。
しかしながら、根津あたりでは戦時中も焼け残った「老朽家屋」が今でも存在し、危険であることも間違いないのは事実。
写真のように、住んでいた人が引っ越された後は「廃屋」となっている建物も少なくありません。
 区としては区報などでこの結果について周知し、地震などの災害への各自での対応を呼びかけていますが、 行政としての対応も迫られていると思っています。
 今後、区で改訂していく「都市マスタープラン」や「住宅マスタープラン」などにおいて、 個別の地域での防災対策や災害に強いまちづくりへの方針をしっかりと位置付けていくべきです。

2003年03月03日

今日一日。

 8:00 根津駅頭にて街頭活動。
10:00 議会運営委員会

10:40 議会事務局長と常任委員長との打ち合わせ
特別区委員長会の今後のあり方についての報告を受ける。

11:00 各種議員連盟総会

12:00 事務所開設のための電話工事立会いのため、根津へ。

14:00 本会議
     総務区民委員長として議案の審査報告をする。
「文京区職員定数条例の一部を改正する条例」など各委員会に付託された22議案が原案通り「可決」
     請願2件が採択。(執行・関係機関に送付)

15:00 予算委員会理事会
     予算委員会の委員会運営についての協議を行う。

19:00 根津一丁目マンション計画についての説明会
    (しのばず通りふれあい館にて)
21:00 後援会事務局会を根津事務所にて。明日の会議について打ち合わせ

2003年03月04日

予算委員会初日(総括質疑)

 今日から1週間に渡る「予算審査特別委員会」が始まりました。
初日の今日は、総括説明を受けての各会派の「総括質疑」。
私たち民主党友愛・無所属議員団からは、成澤ひろのぶ議員が質問に立ちました。
 予算編成全般や財政運営、新公共経営に基づく顧客主義の徹底、「国際協会」の事務局運営についてなど・・・。
第一会派の政調会長として、文京区議会きっての論客・政策通としての成澤議員の実力が、いかんなく発揮された。 そんな感のある総括質疑でした。
そうした歯にもの着せぬ質疑の中で、 予算編成過程における今後の課題や財政支援団体の会計処理の不明瞭さなどが浮き彫りになったような気がします。
事務事業評価や行政評価という新しい手法を取り入れたが、果たしてそれらが予算編成過程においてしっかりと機能しているのか?
特に新規事業についての評価と既存事業との整合性はとれているか?
部長権限の強化は良しとしても、最終的な責任者である区長のリーダーシップは担保されているのか?
 などの質問に対しては、正直言って明快な答弁が得られませんでした。
また、文京区から自立した「国際協会」については会計処理につき、不十分な点が明確になりました。
反省を含めた今後の対応を促したい。

 国会では与党とか野党とか、そんな枠組みだけで「国民不在」の議論がされているけれど、「いいことはいい。だめなものはだめ。」 与野党問わず、そうした当たり前の議論は、国会よりも地方議会のほうが熟成している。
今日の成澤議員の質疑を目の当たりにしながら・・・そうしたことを、ふと感じつつ、そして自負しました。

2003年03月05日

やっぱり減らない職員数の実態。(予算審査2日目)

 予算審査2日目、今日から内容審査に入りました。
非常勤職員の社会保険料について私が質問しました。
非常勤職員の社会保険料は区負担分で約1億1千万円。437人の非常勤職員が社会保険料適用の対象になっています。
 非常勤といっても常勤の7割程度の勤務実績があるため、社会保険が適用される対象となり、実際に週4日勤務・フルタイムで働いていれば、 実質、常勤職員と変わらないわけです。

 文京区では、常勤である「職員定数」を条例で毎年削減してきました。
平成12年度2205人だった職員定数は来年度には、2093人で条例上112人の削減実績です。(あくまでも条例の上で・・・)
 一方で、そうした削減分を補うために退職職員の再雇用や、再任用で非常勤職員は増え続け現在437人に・・・。

条例の上では職員定数は2093人ですが、実際常勤に近い形で働いている非常勤職員を含めると、 職員の実数は2500人超になるということです。

数字のマジックみたいな話です。

確かに再雇用や再任用は給与も下がりますすし、賞与や退職金もありませんから総じて人件費比率は下がります。
でも、実際働いている実数が減っていないとしたら問題です。
5人でやっていた仕事を3人でする努力。仕事を効率化し工夫することで削減を試みる姿勢。常勤・非常勤に関わらず、職員の実数を減らし、 「真の効率化」を目指すことが今、求められているのだと思います。

 答弁に立った斉藤職員課長は、「常勤・非常勤に関わらず、実質的な減員を計画し、区民の理解が得られるよう努力したい。」と・・・。
是非、結果を出してもらいたし、こうした現状を区民に明らかにし、まさに「区民参画」 のもとに職員の適正配置について議論してもらいたいと思っています。

ちなみに文京区の予算全体に占める、人件費の割合は33.1%で23区ワースト1位(平成15年度予算ベース)となってしまいました。

2003年03月06日

ネームプレート(予算審査3日目)

 予算審査特別委員会3日目の今日は、歳出の総務費・区民費を中心に審議
。職員のネームプレートの着用について我が会派から強く要望。
あいかわらず、職員のネームプレートの着用率がよくない!
毎年、予算・決算の委員会において改善を促していますが・・効果ありません。
 区の職員が公務員として自らの身分を明らかにしたうえで、職務を遂行するのは当たり前の話です。
 その当たり前のことができていない。信じられない話です。
しかも、「文京区職員名札着用規定」という内規も存在し、ネームプレートの着用が規定されています。

 職員組合との交渉にあたっている斉藤職員課長の答弁では「名札をきちんと着用するよう、要請し了解をえている。」との事ですが・・・ ・。
「強制されるものではない。プライバシー上問題がある。」などの意見も・・・。とても理解できません。納得できない。

着用を強制すべきだと思う。「この件につきどう思うか区民から意見を聞くべきだ。」と我が会派から主張しました。
 文京区のホームページ( http://www.city.bunkyo.tokyo.jp/) に区民の声というコンテンツがあります。メールで区民の声を受け付けています。
 是非とご意見をお寄せください。

2003年03月07日

黒字でも・・・?(予算審査4日目・特養老人ホームの運営について)

 予算審査4日目の今日は主に「区民費」「民生費」について審査。
特別養護老人ホームの運営について、私が質問しました。

 文京区には区立の特別養護老人ホーム(以下特養と記します。)が4箇所あります。(くすのきの郷・白山の郷・大塚みどりの郷・ 千駄木の郷)

 千駄木の郷以外は「介護保険制度」が導入される前からある施設です。
4箇所とも建物は区のものですが、運営はそれぞれ異なる「社会福祉法人」に委託しています。(公設民営型の特養です。)

 介護保険では、施設の維持管理・運営に至るまで、利用者の負担金(1割)と介護報酬(9割)で賄うことになっています。
しかし、文京区の4つの特養は区の施設であるため、法人と協議の上、施設の維持管理(修繕費・光熱水道費など)は区の負担に・・・。
1箇所平均1000万円程度(年間)区の予算から支出されてるのが現状です。

 その上、千駄木の郷以外は「介護保険制度」が導入される以前の施設であるため、委託を受けた法人の経営不安を解消するために、 人件費などの補助も行っています。(人件費等の補助は平成12年~16年までの5年間で、額を徐々に減らしていく方式。 激変緩和措置と呼ばれています。)

文京区の運営法人に対する、支援はかなり手厚いものだと思います。
なぜなら、他の民間の特養はすべて自前でやり繰りしているのですから。

 それでも、人手不足などにより運営が厳しいという声がある。
        本当でしょうか?

新聞報道だったと思いますが、会計監査院の発表によると全国の社会福祉法人のほとんどが「黒字」だということ・・・。
それを引き合いに、文京区が特養運営を委託する4つの社会福祉法人について、その決算状況について質問しました。

 赤字で運営に困っている法人はあるのか?
  4つの法人すべて「黒字」という高齢者福祉課長の答弁。

仮に激変緩和分の補助がなくなると赤字となるのか?
  それでも「黒字」だということ・・・。

 

 5年間の激変緩和措置については、文京区と法人との「約束」であるがゆえに遵守すべきです。しかし、平成16年以降は法人自身が 「自立」することが求められている。その時、改めてお互いの負担のあり方について協議していくことが必要であると考えます。

2003年03月09日

白バイに救護車(第19回千駄木マラソン)

 恒例の千駄木マラソンが今日、行われました。
文京区青少年対策汐見地区委員会主催のこの大会も今年で「第19回目」を数えます。

 地元小学校児童・中学校の生徒たち、そしてマラソン愛好家を中心に健脚が競われます。
文林中学校をスタート・ゴールとし、小学生が2.5キロ。
中学生および一般が4.5キロのコース設定です。

 距離こそ短めですが白バイの先導はあるし、救護車が走者最後尾につくなど結構本格的な「マラソン大会」です。

私の仕事は、沿道警備。毎年のことです。
日医大病院の坂下がいつもの「マイポジション」。
そこで、声援を送りそして安全の確保にあたっています。
そうして多くのボランティアに支えられつつ、この大会は地域のビッグイベントとしてその歴史を作ってきました。


 5年ほど前には私も走者として参加しました。
にわかではありますが、練習も重ね、挑んだわけですがかなり辛かった。
やっぱり、一夜漬けでは駄目だということをその時、痛感しました。

「来年は練習を積んで参加しよう。」といつもこの日には思うのですが果たして・・・? 

2003年03月10日

環状3号線の50年(予算審査5日目)

 土・日を挟み、予算審査特別委員会の審議が再開しました。
今日が5日目。主に「民生費」「衛生費」「都市整備費」「資源環境費」についての審議。
 都市整備費の審査の中で、私が質問しました。
環状3号線とその計画が文京区のまちづくりに与える悪影響について・・・。

 環状3号線は昭和21年に計画された「都市計画道路」。文京区では、小日向から小石川播磨坂、白山、 向丘を経て根津そして台東区谷中へと抜ける、まさに文京区を二分・横断する道路です。

しかし、この50年間余り文京区では全く手付かずの状態。

 写真は根津神社脇の坂の上から撮影したもの。白山・向丘から延びてきた「環状3号線」は根津神社の境内をかすめ、写真の方向、 木立の先のマンションとマンションの間を抜けて、台東区谷中へと続いていきます。
 はっきり言って計画に無理がある。
 50年どころか100年たっても完成しない計画、それにその道路の必要性も全く感じられない。

 昭和55年文京区議会では、環状3号線の廃止を要望する意見書を東京都に提出しました。

環状3号線は「高架」で文京区を横断する予定になっています。住宅地の真ん中や商店街、 端的に言うと家屋の上を道路が通るようになるわけです。
従って、計画道路上の家屋や土地は、建築上の制限を受けます。3階以上は建て替えが不可。など・・・。
また、文京区が計画に反対している為、環状3号線周囲の整備計画を出すことができず、東京都と連携した「まちづくり」 が著しく遅れているという実態も表面化しています。
 
いずれにしても、その影響は大きいと言わざる得ません。

50年全く手付かずのこの計画。どう考えても実現不可能です。
その実態を、所管官庁である東京都はしっかりと現実視するべきです。

何の実質的な進展もなく50年間ものあいだ実績が出せない計画は速やかに「白紙・撤回」すべきです。そして、 住民主体のまちづくりを尊重すると共に私的財産権を尊重すべきものと思っています。

都市計画部小野計画調整課長の答弁では「現実は認めつつも、計画の撤廃は難しい。」との答弁。

どのような経緯でこのような無謀な道路計画ができたのか「不明」ですが、少なくとも「住民本意に立った計画」とはとても思えないので、 私個人としては、かっての文京区議会の意思表示同様、この計画には反対していきます。 

2003年03月11日

予算審査最終日

 予算審査最終日の今日は「教育費」「図書館費」「国民健康保険特別会計」「介護保険特別会計」などの審議。
 小中学校の普通教室の冷房化が、具体的に計画化されたことは評価できます。ただ、財源としての国庫補助が財務省の来年度予算査定で、 落とされたことには納得ができません。結果として全額持ち出しとなってしまいました。

 中学校の学校選択制については我が会派は「賛成」。
私立中学校への進学率も年々高まっています。(平成14年度では約35%が私立へ・・・)
 選択肢を広げていくことは保護者にとっても決して不利益が生じるものはありません。また、これを契機に、それぞれの学校が特色を持ち 「魅力ある学校づくり」を進めていくことも大きなテーマ。
制度を運用していく中でいろんな課題が見えてくると思いますが、今は第一歩。生徒数や私立への意向度も踏まえつつ、 将来的には適正規模についても議論していかなければと私は考えます。

 図書館や給食の民間委託化については、日本共産党委員などが「反対」を強く打ち出していますが、なんだか説得力がありません・・・。
広く区民に意見を聞いてみればおのずと答えは出てくるでしょう。

 介護保険については、保険料の6段階への弾力化や利用料の特別対策が決まりました。介護保険が国の制度である以上、 区独自で保険料や利用料を減免していくことは基本的には賛成できません。
ただ今回の対策については、介護保険事業計画の見直しや区民意見の集約の結果必要なものと考え賛成しました。

 以上、一週間に渡る審査の結果「平成15年度文京区一般会計を含む四会計」は原案通り可決すべきものと決しました。
明後日の定例会最終日「本会議」において採決されます。

委員会終了後、私達民主党友愛・無所属議員団、自由民主党無所属クラブならびに公明党文京区議会の三会派は東村昭平委員長に、 予算審査に対する三会派共同意見を提出しました。

2003年03月13日

卒業写真か・・・?(第1回区議会定例会最終日)

 平成15年区議会第1回定例会が最終日を迎えました。
15:00からの本会議では「平成15年度文京区一般会計予算」他予算関連4議案が、賛成多数で可決されました。15年度予算の「成立」 です。

 今後、区執行機関においてはこの予算に基づき、区民の期待に積極的に応えられるような区政運営を展開されるよう強く望みます。

 また、本会議において今期で勇退される先輩議員たちの「挨拶」が行われました。今期で勇退される議員は、金森久城議員(共産党)・  樋田のぶひろ議員(公明党)・川村忠治議員(自民党)の3名。
 永年に渡り文京区政に貢献された先輩方に心から敬意を表したいと思います。

本会議の前には今期在職議員と区幹部職員との記念撮影が・・・。
さしずめ「卒業写真」といったところでしょうか・・・?
いやいやダメですね・・・卒業しちゃったらいけない。5月には、またここに戻ってこれるよう頑張らなければ!
 
 とりあえずみなさん四年間ご苦労様でした。

 <今日の日程>
9:00~ 総務区民委員会理事会(イラクに関する意見書、まとまらず。)
10:30~議会運営委員会(本日の議会運営について)
11:00~幹事長会(臨時会についてなど。)
12:00~議員団総会(会派のメンバーに諸般の報告)
13:00~予算審査特別委員会(委員長報告の読み上げ)
14:00~全員協議会(本会議のながれ等説明)
14:15~記念撮影
14:30~総務区民委員会(理事会の結果報告)
15:00~本会議(予算案など採決)
16:40~議会運営委員会(臨時会の会期の決定)

私、全ての日程に出席しました。何がなんだかわからないほど忙しい1日でした。

2003年03月14日

勇退される先輩(金森議員・樋田議員)

 今期勇退される金森議員(写真左)と樋田議員(同右)といっしょに撮ったスナップ写真です。先月 「利根川政次氏叙勲祝賀会」で同席させてもらった時のものです。橋本直和議員がデジカメ撮影、メールで送ってくれました。

 金森議員は私と同じ根津出身。区議8期を努めた大ベテランです。表現や語りが実に巧みで、議会での議論でも他を唸らせ、 そして時として笑わせ、委員会など大いに盛り上げます。地元でも知名度は抜群で、街頭活動や機関誌の配布活動など地道な運動は、 私なんか足元にも及ばない・・・。

 樋田議員は副議長も経験された逸材。3期です。まだ引退するには惜しい気がします。 神田川流域の防災対策を語らせたら右に出るものはありません。常に謙虚で礼儀正しい人。「茶人」でもあります。政治家っぽくない人です。 引退後は「茶道」に専念といったところでしょうか・・・。

お二人とも、文京区政に大きな貢献をされた方。これからも良き先輩としてご指導願いたいものです。 ご自愛のほど心からお祈りいたします。
 

2003年03月15日

氏神様を頼りに・・・(事務所開き)

 不忍通り沿いに、後援会事務所を開設します。今日はその「事務所開き」。

氏神様である根津神社にお願いし、宮司さんに来ていただいて「おはらい」をしてもらいました。
思いを新たに、スタート地点にたったという感があります。
常にチャレンジャーの気持ちを忘れずにいたいと思ってます。
事務所の運営に携って頂く、後援会幹部やボランティアの皆さんに同席していただきました。

 その後、シビックセンターへ。「区政功労者表彰式・懇親会」に出席。
今年も区政にご協力いただいた方々に感謝の気持ちを込めて、煙山区長から
受章者に感謝状が贈られました。

午後4時からは「文の京(ふみのみやこ)文芸賞」受賞祝賀会(東京ドームホテル)に出席。
最優秀賞は横浜在住、風森さわさんの「切岸(きりぎし)まで。」という作品。優秀作には文京区在住永井恵理子さんの「ねんねこライダー」 という作品が選ばれました。

 この「文の京文芸賞」応募作品は計1446点。自治体が主催する文学賞としては群を抜く応募作品だったということです。 選考委員加賀乙彦氏の講評によると「全体的にレベルが高く、独特の文章力を持った人が多かった。」とのこと。
 
 「切岸まで」は、近々に講談社から出版される予定です。
内容はお楽しみということで・・・。

2003年03月16日

体験してみること(合同防災訓練)

 午前10時から「根津七ヶ町合同防災訓練」が根津小学校で行われました。 各町会やPTAなど総勢200名が参加。

 初期消火、応急手当、起震車・煙ハウスでの体験、炊き出しなど分野別に分かれて、それぞれ訓練をしました。
消火器の使い方、人工呼吸や三角巾を使った止血法、など消防署や消防団の人たちから指導を受けながら、参加者も熱心な様子・・・。

 大事なことは、実際に体験してみることです。簡易消火器や三角巾はどの家庭にもあるけど「いざ!」 という時に思うようにその威力がはっきされなかった。実際にうまく使われなかった。
 阪神淡路大震災の教訓です。

何でもないことでも、こうして繰り返し訓練することがとても大切だと思う・・・。帰りには炊き出しで炊いた「ご飯」「缶詰・三角巾・ ホイッスルキーライト」など頂戴しました。 

 氏神様を頼りに・・・(事務所開き)  3月15日(土) 

 不忍通り沿いに、後援会事務所を開設します。今日はその「事務所開き」。

氏神様である根津神社にお願いし、宮司さんに来ていただいて「おはらい」をしてもらいました。
思いを新たに、スタート地点にたったという感があります。
常にチャレンジャーの気持ちを忘れずにいたいと思ってます。
事務所の運営に携って頂く、後援会幹部やボランティアの皆さんに同席していただきました。

 その後、シビックセンターへ。「区政功労者表彰式・懇親会」に出席。
今年も区政にご協力いただいた方々に感謝の気持ちを込めて、煙山区長から
受章者に感謝状が贈られました。

午後4時からは「文の京(ふみのみやこ)文芸賞」受賞祝賀会(東京ドームホテル)に出席。
最優秀賞は横浜在住、風森さわさんの「切岸(きりぎし)まで。」という作品。優秀作には文京区在住永井恵理子さんの「ねんねこライダー」 という作品が選ばれました。

 この「文の京文芸賞」応募作品は計1446点。自治体が主催する文学賞としては群を抜く応募作品だったということです。 選考委員加賀乙彦氏の講評によると「全体的にレベルが高く、独特の文章力を持った人が多かった。」とのこと。
 
 「切岸まで」は、近々に講談社から出版される予定です。
内容はお楽しみということで・・・。

2003年03月17日

桜のはなびら降る頃はランドセルの一年生。

 文京区立幼稚園の卒園式がこの日、各園において一斉に行われました。
私は今日、根津幼稚園の卒園式に出席。

幼稚園の卒園式には独特の雰囲気があります。
本当に可愛らしい、その一言に尽きます。
成長期の中でも最も愛らしい時期ですね。

お父さん、お母さんにはその姿を是非ともしっかりと、目に焼き付けておいてもらいたいと思います。
唯一 けなげで、唯一 汚れないその姿を。

園児に修了証書を園長先生から手渡され、来賓ご挨拶の後、最後に、みんなで根津幼稚園の園歌を歌いました。
(その歌詞は・・・。)

 桜のしるしが きらりとひかる
 ならんだ友だち おめめがひかる
 毎日みんなで なかよく遊ぶ
 誰もが元気に すくすくのびる
 ぼくのわたしの 幼稚園
 通ってうれしい 根津幼稚園

サトー八チロー氏の作詞によるものです。
昭和の偉大な作詞家サトーハチロー氏は、弥生に居住、文京区をこよなく愛したと言われています。

 単純明快な歌詞のなかに「心地よさ」「歯切れよさ」そして「子供の成長期における最も愛らしいその姿」 を素直に感じさせるそんな歌詞です。
そんな素敵な歌を胸に子供たちは旅立っていきます・・・。


 桜の花びら降る頃は、ランドセルの一年生。
そんな言葉を思いめぐらせながら、どうぞ子供達の行く末に幸多かれ・・・と祈るそんな1日でした。

 がんばれ、ピカピカの一年生!。

2003年03月18日

街頭から。

 今朝、街頭活動を行いました。(7:30~9:00まで)
まさしニュースの配布は200枚。今月のテーマは「都市計画道路環状3号線」について。
文京区のまちづくりに大きな影響をあたえる問題ですので、真剣に取り組んでいきたいと思っています。
街頭活動も回を重ねるたびに、手ごたえを感じています。ニュースを楽しみにしているとのメールもいただいたり、本当に感謝です。
「区政に関心をもってもらう。いっしょに参加してもらう。」そのための情報提供や私の主張をこれからもしっかりと伝えていきたい。 そう感じています。 

2003年03月19日

鳩山太郎28歳の挑戦(家庭教師からのエール)

「鳩山太郎を励ます会」に出席しました。太郎氏は鳩山邦夫氏の長男。
  28歳にして政治の道を歩む決意を固めたとの事。

私は太郎氏の父邦夫代議士の元で秘書として政治を学び、そして区議会にでました。
しかし、残念ながら今は邦夫代議士とは別々の道を歩んでいます。

 そのご子息の会に私が出席するのは「筋が違う」との批判も受けましたが、あえて出席することにしました。

 太郎氏とは特別の思い出があります。
私が秘書として鳩山邦夫事務所に勤務していたころ、邦夫代議士の依頼を受け、太郎氏の家庭教師を引き受けたのは彼が中学一年生の頃。

秘書としての仕事を終えたのち鳩山邸へ向かう。そして毎夜遅くまで、彼と机を並べて学んだ記憶が甦ります。

当時学習院中等科に通っていた彼は決して優秀ではありませんでしたが、コツコツと努力するタイプでした。

また何よりも優しい心をもった少年でした。

当時は母上や妹・弟はオレゴンへ留学中で、自宅には父邦夫氏と太郎氏の2人暮らし。そんな中、私は半ば「住み込み」 状態で太郎氏の家庭教師と秘書の仕事を両立していました。1年半くらい続いたでしょうか・・・。

今になってみればいい思い出です。

その太郎氏が政治家になると決意した。
その旅立ちの会に、是非とも出席し励ましたいと思いました。

演説は上手いとはいえないし、振る舞いもまだまだぎこちない。
でも、思いは伝わってくる。

 自分でやると決意したことですから、是非とも自分の力で勝ち取ってもらいたい。あきらめずにめげずに・・・。
かつて未熟な家庭教師として共に机を並べて頑張った、友としてそんなエールを心から送りたいと思っています。

2003年03月20日

連日の励ます会(煙山区長の会)

 午後7時から、区民センターで「煙山区長を励ます会」が行われ、私たち民主党友愛・ 無所属議員団メンバー全員が招待を受け出席しました。
総勢700名を超える出席者で、会場も2階と3階の2会場に分けるなどの盛況ぶり。驚きました。

町会連合会や各種団体などを中心に煙山区長を支援する「活き活きとした文京区をつくる会」が発足。再選に向け磐石の構えです。

私たちも会派ごとに壇上へ、各議員の紹介そして代表して幹事長があいさつ。(私がやらせていただきました。)

煙山区長も私たちも今が正念場。
共に勝ち抜いていきましょう。文京区明るい未来のために・・・。

ちなみに明日は、私の総決起大会です。

2003年03月21日

臨戦態勢(後援会総決起大会)  3月21日

 再選に向けての「渡辺まさし後援会総決起大会」を開催しました。
会場は旅館・上海楼の大広間。3連休の初日、またお彼岸の中日にもかかわらず、100名以上の方々がお集まり頂き、 私の話に耳を傾けてくれました。本当に感謝です。

 会場となった上海楼は根津の裏路地にある古い旅館。大正、昭和初期の建築でしょうか、とても趣きのある旅館です。
私はその雰囲気がとても好きで、4年前も8年前も、この場所から戦いに向けてのスタートを切りました。

 私は「地域の声をしっかりと聞いていく議員でありたい。」と強く訴えました。
議員のあり様も最近は大きな変化がみられます。例えば、地域と何もつながりのない人が、ただ若いというだけで当選したり、 環境問題や男女平等に関する問題など「ひとつのテーマ」を掲げて議会に出てくる人も少なくありません。それはそれでいいのですが、 少なくとも私は地域の代表としての自覚を持っていきたいと思う。
地域の声をしっかりと聞いていく中で、問題や課題を見出し、考えそして答えを出す。 それを原点として文京区政を見つめていきたいと考えています。

 今日の会では、私のほかに多くの出席者の方々からもご意見をいただきました。私に望むこと、してほしいこと・・・などなど。
「この4年間怠けてたんじゃないか?」など厳しい意見もでましたが、 そういうことを言ってくれるのも私のことを思ってくれているからこそであり、
謙虚に真摯に受け止めながら前に進んでいきたいと思っています。

 いよいよ臨戦態勢。これから一日一日を悔いなきよう、全力で活動していきたい。

2003年03月22日

少しは らしく なってきましたが・・・(まさし事務所の今日)

 お彼岸です。午前中は菩提寺へ墓参。 午後から昨晩私の会に出席してくださった皆さんへの挨拶廻りや、御礼の電話を・・・。

夕刻事務所に帰る。しばらく独りで過ごす。前を通りがかった人が立ち寄り、事務所をのぞいてくれるのは嬉しいが、 やはり若干寂しい気がします。

隣の日本そば屋さんの出前のお兄さんが「ま~さし君、なんだか一人暮らしみたいだなぁ~寂しいか・・・?が~んばれよ。」 と激励とも皮肉ともとれる一言。
もう少ししたらボランティアの人たちも来てくれると思いますが・・・。

夜になると、村田事務局長(写真左)と吉田事務次長(同右)が今日も来訪してくれました。連日夜は詰めてくれてます。
今後の活動について協議、そして午後10時半事務所を閉めました。

今日も寒く、レンタルした2本のだるまストーブはその威力を発揮しました。

2003年03月23日

こんなピッチがあったら・・・(サッカー少年のために)

 用事があって巣鴨まで行く道すがらのことでした。大きなグランドが目の前に・・・。

子供たちがサッカーの試合をしています。
実に気持ちよさそうに・・・。

それにしても立派なピッチ(グランド)です。
ここは財団法人三菱養和会のグランド。プールや体育施設なども併設された施設だそうです。
我が文京区にもこうした民間の施設があればいいなぁと感じます。

 話は変わりますが特に私は少年サッカーには強い思い入れがあります。

文京区にはそれぞれの地域に多くの少年サッカーチームがあります。
そしてワールドカップ日韓共催以後、その人気も年々高まってる。
しかし、文京区には少年野球のように区としてバックアップしていく連盟の組織がありません。 従って連盟の大会はもとより区長杯など区主催の大会も開催されていないのです。

 とても残念なことです。

そうした中、「なんとか文京区で少年サッカーの振興を!」という目的を掲げ東京本郷ライオンズクラブという奉仕団体が年2回、 「ライオンズカップ青少年サッカー大会」という大会を始めたのが今から5年ほど前のこと。
 3月29日に行われる大会で第12回目になります。

そのこととは全く無関係でしたが、縁あって私が本郷ライオンズクラブに入会しのが約4年前。
以来この行事にたずさわり、関心をもち、思い入れを持ち、 そしてこの2年間はおかげさまでご推薦をいただきこの大会の実行委員長をつとめています。
 「いつかは文京区から、日本を代表するような選手がいや世界に通用すうようなサッカー選手を育てよう!」そんな「夢」 をライオンズクラブのメンバーの人たちといつも語っています

 しかし残念ながら現状、文京区のサッカー少年たちの活躍する場は良好な環境とはいえません。
少年サッカー専用のグランドを作れるような余裕も文京区にはありません。

 でも何かできると思うし、やらなきゃいけないと思っています。
3月29日(土)、小石川グランドにはびっくりするくらい多くのの子供達、保護者たちが集い、 汗と涙と声援のなかに思い出の一日が過ぎていく。

 すごい熱気です。

でもそれはサッカーばかりじゃない、少年野球も、バスケットもバレーも水泳もみな同じ。

スポーツを通じ親子・友人・地域をつないでいく・・・その姿や思い入れを私は大事にしていきたいと思ってます。

 そしてそんな光景をしっかり胸に抱いて、少年たちの夢の実現に「一助」を担えたらどんなに幸せだろうって・・・・今日、 そう感じました。

2003年03月24日

”ウチャ”が来た。(結構仲良し)

 私の従姉井浦幸子さんの愛犬。その名も”ウチャ”。いい名前です。
何でそういう名前がついたのでしょう・・・聞いたことありません。犬種もなんだろう?シーズかな?
でも私とウチャは大の仲良し。
ウチャとは本当によく会う。道端で・・・。一日に1回は会ってるような気がします。

活動範囲が似ているのでしょうか?

ウチャは散歩が大好き。日に何度散歩に行くのでしょう。飼い主も朝に晩に大変だと思う。でも犬を飼ってる人たちはみんな散歩が大好き。 そう聞きます。

 私の事務所前はウチャのお散歩コース。今日私が事務所にいるのを見て、わざわざ入ってきてくれました。とても嬉しかった。

最近「ドッグランパーク」が都立公園を中心に作られています。
文京区にあってもいいですね。
区立公園や児童遊園があまり子供達に利用されていない実態があります。
そんなことを考えると、低利用の公園や児童遊園をドッグランパークに転換するのも一考の価値あり。って思います。

2003年03月25日

I believe in future (小学校卒業式)

 小雨降る中、文京区立小学校卒業式が各校で挙行されました。
私が出席した根津小学校では34名の児童がこの日、母校を巣立っていきました。

6年間の様々な思い出。
特に今年1月~3月の間に行われた「中学生になるにあたっての校長先生との個人面接」また「親子で参加のお別れ会」など、みんないい思い出。

 そんな伊藤 敏校長の式辞に、多くの児童の目から涙が・・・。
いかに「絆」(きずな)が強かったを感じさせる、いいお話でした。

 卒業式の定番ソングは私達の時代は「仰げば尊し」。現在はというと・・
今は「BELIEVE」という歌がどこの卒業式でも必ず歌われます。

「仰げば尊し」も名曲だけど「BELIEVE(ビリーブ)」もなかなかのものです
聞いていると涙がでてきちゃう。(私、涙腺ゆるいんです。)

 たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は
 かならず僕がそばにいて、支えてあげるよその肩を・・・。
 世界じゅうの希望のせて、この地球はまわってる。
 今未来の扉をあける時、ぁぁ悲しみや苦しみがいつの日か
 歓びにかわるだろう。I believe in future 信じてる・・・。

外は雨・・・長い人生、晴れの日も雨の日も、楽しいときも苦しいときも。
そんな繰り返しの中で毎日が過ぎていく。
この世に生を受け生きている以上大人も子供もなく、みな等しく背負っていかなければならない宿命です。
38歳になった私もこの歳になって始めてその意味に、やっと気づきました。

そんなふうに感じつつ・・・子供達の新たなる旅立ちの日にまさに「雨降って地固まる」となるよう成長を祈り、見守り、 そして祝福したい。

 I believe in your future.

2003年03月26日

趣味とはいえないほどに・・・

 石川 昇さんは私の支援者。今日お宅を訪問しました。
石川さんの趣味は日本画を描くこと。特に仏画が好きなんだそうです。
話がその話題に興じていくうちに、次々とその力作・自信作をご披露してくれました。

中でも「竜と観音様」(写真)は、超大作。とても趣味のイキとはいえないほどの実力です。素人の私が見てもすごいと思います。
その画法はというと・・・始めに障子紙に墨で下絵を書き木枠をはめる。
その上に下地である「絹」を張って色をつけていく。
息子さんに贈るために製作中の画を見せてもらいましたがとても繊細な工程が必要とされるようです。

お子さん達や、お孫さんたちに贈るための作品を順次製作中との事。
さぞかし「貴重な財産」となることでしょう。

「まさし日記」の更新をしばらくお休みします。

3月27日(告示)~4月13日(投票日)まで、東京都知事選挙ならびに文京区では東京都議会議員再選挙が行われます。 選挙期間中は政治家のホームページは更新できない(政治活動の制限)と公職選挙法で定めらています。

 4月14日以降に、お休みしていた分も含めて更新させていただきますのでその時になったら是非またのぞいて見てください。

2003年03月27日

自転車で行ったり来たり・・・

 今日から東京都知事選挙が始まりました。とはいえ、 街の中は選挙といった雰囲気は全く感じられませんが・・・。

新しい事務所を開設して、仕事を始めてみると色々こまごました物が足りないのに気づきます。そんな細かな備品を買い揃えるために、 文具店や金物屋さんなどを行ったり来たり。
 その間に来訪者があったりして慌てて戻ってきたりなど・・・。
秘書やアルバイトがいるわけではありませんので、何でも一人でやらねばなりません。また、 日中は外に出ている場合が多いのでその間やむ終えず事務所を空けなければならないケースもあります。

 幸い4月からは、支持者の方々が時間を見計らって事務所に詰めてくださるというお話もいただいているので感謝です。

2003年03月29日

ライオンズカップ(青少年サッカー大会)

 第11回目を迎えた、本郷ライオンズクラブ主催の「青少年サッカー大会」
が小石川グランドで開催されました。

 少年サッカーの人気はうなぎのぼりに高まっています。今回も400名を越える地元サッカーチームの選手達が、優勝目指して 「熱き戦い」を繰り広げました。

 小学校1・2年、3・4年、5・6年、中学生の部と学年別での試合はそれぞれに雰囲気があり、時に力強かったり、 また時には微笑ましくもあり、体力や技術を超えて、見る者を楽しませてくれます。

 親たちが夢中になるのも無理ありません。

本郷ライオンズクラブの一大イベントととして、これからも回を重ねていきたいと思っています。
また、忘れてならないのは大会の運営にあたり協力をしてくれる皆さん。
合同事務局の中心である「ラスカル千駄木」の方々。
審判を受け持つ筑波大付属高校のサッカー部の選手たち。
また、各チームの監督や役員のみなさん。
そうした協力があってこそ、この大会が開催できるんです。

心から感謝です。

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